今からン0年前、僕が東京に出てきて初めて行ったことは、京浜急行に乗って三崎口まで行き、
三戸の漁村と海岸を歩き回ることでした。
紫郎少年が歩いていた道がここにある、紫郎少年が漕ぎ出した海がここにある。紫郎少年が住んでいた家がここにある!
それほど思い入れの強いドラマでした。
一人で漕ぎ出す海、謎の老人、日本軍の地下要塞と、少年が活躍するにはうってつけの舞台と登場人物が用意されている。
けれど、決して単なる娯楽冒険物語ではない。
身近なところに謎が潜み、その謎を解いていくうちいろいろな人と出会い、歴史を知り、
謎が解けるとともに少年の幻想は崩れるが、大人への成長の一歩を踏み出す。そういう物語です。
多くの少年はそういう体験を願いながらも実現することは難しいでしょう。
それを、テレビの中に結実させてくれたのがこのドラマです。
若い
スタッフがマイナーな少年ドラマだからこそチャレンジした、斬新な演出もほほえましい。
クラスメートの志津子ちゃんがかわいくて、僕もこんなガールフレンドが欲しいなどと子供心に思ったものでした。
今では小林先生(菊容子)の色っぽさに眼が行ってしまう。僕もオヤジになったものだ。
昭和40年代の生活を見るのが楽しい、というか懐かしい。
主人公:加藤文太郎の人生を描いたこの著作は、山岳小説の域を遙かに超え、愛と命と勇気を描いた作品である。作中、そうありたい自分・そうあってはならない自分の狭間で、選択すべきを折々に悩む。しかし、遠く大きく輝いた目標を定め、決して自己を見失わない。目的達成を目論んだストイックな思考と行動は、見事である。
しかし、悪い奴もいる、文太郎の生き血を吸うやつらが…。金を無心する同級生。彼の知性を我が物としよう忍び寄り、さらには自分の失態を押し付ける影村。しかし、こうした存在もまた、いっそう小説にリアルさを補完する。
終盤、彼なりの、「命」「愛」「人間」の証明を目指し、後輩との登山を目論んだ。彼は遭難、そして死。危険な雪山を避け、安全にヒマラヤ登山に成功して欲しかった。そう考えるのは私だけではないはずです。恩師や家族や多くの登山家、そしてこの読者も同様の筈です。