天空の城ラピュタ [DVD]
ジブリの中でもかなりの完成度を誇る作品。
言うまでもない名作です。
空を飛ぶ機械やロボットの独特かつ魅力的なデザイン、
善悪はあれど、すべてのキャラクターが立っている、
単純だけで胸が熱くなるストーリー、
すべてがお勧めです。
ラピュタへの執着ぶりを見せ
「次は耳だ」「人間がゴミのようだ」
「目がー、目がぁー」など真似したくなるセリフを持つ
ムスカも、何年経っても忘れられません。
シータをパズーが逆さになって助けるシーンは
音楽も相まって、何度見ても興奮します。
実はいいヤツという単純ながらも好感の持てる
海賊たちも最高です。
ボスの食べるエビとハムは毎回食欲をそそります。
時代や年齢を問わず、まさに誰もが楽しめる作品だと思います。
ジブリ実験劇場 ON YOUR MARK [VHS]
あまりにもすばらしくて俳句を書けなかった俳人の気持ち
以上になれる映画
最近DVDでも他のお話とセットで発売されていますが、これほど1つの完成品になっているものをなぜそれだけにしないのか不思議です。
VHS版また再生産して欲しい・・・
もののけ姫【劇場版】 [VHS]
サンは言う。
「よみがえっても ここはもうシシ神の森じゃない シシ神さまは死んでしまった」
アシタカは言う。
「シシ神は死にはしないよ いのちそのものだから 生と死と二つとも持っているもの」
「わたしに生きろ といってくれた」
Dパート、1657〜1660カットのシーンである。
宮崎駿が1669カット積み重ねて辿り着いたシーンである。
私はこのシーンの意味について、公開して11年経った今でも想いを巡らせる。
未だに「こういう意味です」と胸を張って解説する自信はない。
が、しかし最近になって少し「こういう意味なのかな?」という、出来事があった。
そのヒントは奇しくも「崖の上のポニョ」にあった。
「崖の上のポニョ」の「海」に対する宮崎氏の考えに、こんな文章がある。
「誰もが意識下深くに持つ内なる海と、波立つ外なる海洋が通じあう」
この文章を読んでまず直感した。
「これは人間の中に海がある」ということじゃないか?と。
人間は人間。海は海。ではなく、人間は海であり、海は人間である。と。
それは言葉の上では分断されているが、本当は分断できるものではない。と。
お互いが、お互いに影響を与え合う、「1つのモノ」ではないか。と。
話を「もののけ姫」に戻す。
最後のシーンに「この観念」を持ち込むと、なにか少し理解できる。
「シシ神」を「海」。「アシタカ」が「人間」。とする。
シシ神はアシタカであり。アシタカはシシ神である。となる。
なぜならシシ神は「アシタカの内にもある いのちそのもの」なのだから。
したがって、アシタカはシシ神の一部であり、シシ神はアシタカの一部でもある。
個は全であり、全は個である。
それを分断できるモノではない。と。
宮崎駿はその観念に行き着いたのではないだろうか。
話は飛ぶが「環境破壊」という言葉が私は嫌いである。
なぜならこの言葉は「人間が環境を壊している」という、思想だからだ。
この「環境」の中に「人間が含まれていない」という気がしてならない。
なぜ「環境破壊は人間破壊」と言わないのか?
人間と自然環境は繋がっているにもかかわらず、分断されている気がしてならない。
仮にも自然環境が消失して人間が消失しないのなら、まだ解る。
しかし明らかに自然環境が消失すれば人間も消失するのである。
それはなぜか。
「個は全であり」「全は個である」から。
その「当たり前」で「最も大事な観念」をこの作品は内包している。
Howl's Moving Castle
初めて洋書にチャレンジする方、今までいろんな本を読んでいる方、ファンタジー好きの方、ぜひ一度読んでみて下さい。子供の本だと思ってばかにしちゃいけません。そこらの安っぽいファンタジーとは似ても似つかない絶品なんですから!全編に漂うユーモア、名作のパロディがいたるところに顔を出し、さらにひねりが加えられたのがこの本なのです。英国ファンタジーの傑作ですよ!