評論の書き手には何が求められるか。知識量だろうか、知的水準だろうか。だがそれは、
難解な分野でこそ役立つのであって、誰でもわかるような大衆文化については頭の良さ
で攻める批評家はコケる。大衆文化を切るのに必要なのはただ一点、切り口、センスだ。
この『考えるヒット』は、そのことを如実に示している。本書は音楽批評家の近田春夫がそ
の真骨頂である歌謡曲批評にしばらくぶりに帰ってきた著作だ。週刊文春誌上で97年の
ヒットチャートから毎週2枚をピックアップして批評した連載がもとになっている。
ページにこだわらず、ペラペラめくりながら気にとまったページから読むのがお勧めだ。それ
はJ-POPが非歴史的(つまり進歩のない!)であるからでもあるが、それ以上に近田の批
評が、時代の文脈から独立して面白い、これにつきる。場合によれば、作品に勝ってすらい
ることがある。
近田の批評の魅力はなんといっても、歌謡曲批評でありながら、楽曲や歌詞の枠にとらわ
れず、
ジャケット批評や芸能人批評まで射程に入れているということだ。もちろん楽曲批評
の濃度も高い。しかしそれだけでなく、猿岩石有吉の
ジャケットの眉毛がカールしていること
も、桜井和寿が不倫スキャンダルで各社にまめに送った謝罪文も、それらすべてを集約して
初めて「J-POP」なのだというのが、彼の理解なのだろう。
批評の言葉も、難解な言葉遣いでないしウダウダ書き連ねているようでいて、突如として対
象の本質に貫く切れ味のよさ。なおかつ読みながらニヤニヤしてしまうのは、それが面白す
ぎるからだ。「THE 虎舞竜に関しては、私はロード的存在であることしか知らぬ」これ以上に
端的に高橋ジョージを評した言葉が、他にあるだろうか?
このよい力の抜け方は、もしかすると選曲者別立て方式によるのかもしれない。自分で選ん
でないからこそ、肩に変な力が入っていない。もうJ-POPは聴く時代から読む時代に移った
のかもしれない。解説は、自身近田の影響を受けたという評論家の宮崎哲弥が寄せている。
'-1'"1'μè¡-...2è¿'"°\°3¡3¨1¿a£ä¶è'¨£ ̄ä'§-ä'ä""¶é§¨"¨-1'ä£-\ ̄±è§"¨'2a䡨-äèa\£3§è'-è...-  ̄é3\¡"¨§è¨¨\-
¨o¬a1¿31¨--'a-...\£a§¬"é3\\aa¨¢o\è¢-¨é°aè-a£  ̄象¨ ̄ '-§aa-"-ä" ̄象 ̄£!"¨a ̄"°\ä°¨'μ1--"a"§-
週刊誌のJPOP批評しか著者のまとまった文章を読んだことがなかったので、正直言っていい意味で驚きました。中学生で「話の特集」を買ったエピソードなど著者の本に対する姿勢?が書評の間に垣間見えてなかなか味があります。「レイブ」だの「トランス」だのたまに出てくる単語がなかったらとてもミュージシャンの書いた書評だとは思わないでしょう。
確かに取り上げる本には「読んでみたい!」と思わせるものが少ないですが、それはそれでOK。
ここで書かれる日本語とビブラストーンでの過激な歌詞とのギャップがこれまた面白いです。
歌謡曲をロック(特にグラム・パンク)でカバーするという、禁断の聖域、侵したくても人目を憚れるようなこの行為に、敢えて臨み、最高にカッコ良く仕立てられたのは、後にも先にも「芸能界の小林秀雄」(当時こう呼ばれていた)こと、近田名人だけだ。ああ昔のオールナイト・ニッポンが懐かしい。オリジナルを知らない現代の若者は、本作品どう評価するのだろうか?時代を映すメルクマールたる歌謡曲というものが存在証明を失い、時代を語る色が見えにくくなった今の時代、近田氏と共に、語るに足るあの頃、あの瞬間を共有できたことを今となっては幸福に思う。