ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム (CDサイズ・紙ジャケット仕様) [DVD]
ジャケットの、頬の肉が落ち、サングラスをかけてはいるものの明らかに表情のないディランと、タイトルの「ノー・ディレクション・ホーム(帰る家とてなく)」という言葉にこの作品の在り方が集約されているように思います。作品が進むにつれて疲労の度を増すディランが終わり近く、インタヴュアーに「家に帰りたい」と漏らす場面など、この時期のディランが「ドント・ルック・バック」で見られるようなイケイケで突っ走ってばかりいたわけじゃなかったことを物語ってくれます。こじつけになるかもしれませんが、「ドント・ルック・バック」が「振り返るな」と前のめりに走っていたのに対し、この「ノー・ディレクション・ホーム」は現在のディランが当時を「振り返」っており、そういう意味では対になる作品なのかもしれません。
ダスト・ボウル・バラッズ
と語った偉大なるウディ・ガスリー生誕(1912年7月14日)から2012年で100周年ということを祝して、RCAビクターで録音された彼にとって初の商業的な形で発表された作品集が最新のマスタリング処理を施されて再発。【1】【3】【9】【11】など、映画化もされたジョン・スタインベック著『怒りの葡萄』の世界にも通ずる民衆の窮状を問いかけ彼の詩才を示した本作は、その歴史的な価値や、ボブ・ディランやライ・クーダーなど、今日まで多くの人々を立ち上がらせてきたその「声」が今なお強烈であることを聴く者すべてに思い知らせる現代大衆歌の金字塔。彼が何故「米国のポピュラー音楽を語る上で欠かせない重要なフォーク・シンガー」なのかを理解したければ、本作がその最良の助けとなるはず。ウディ本人によるライナー・ノーツも必読。
ウディ・ガスリー わが心のふるさと [DVD]
米国映画には二つの相反する文化が同居している。一つはスーパーヒーローがゴリラ人間のごとく活躍する系譜、もう一つの系譜は「悩めるアメリカ」でもがく普通の人間を描くものだ。ジョン・フォードの「怒りの葡萄」などから連なる、後者の系譜中、最も輝きを放つ傑作の一本が本作である。フォークの父と呼ばれるウディ・ガスリーは、今や偉大な人物=ヒーローに違いないが、飲んだくれるし、適当に浮気もする、普通のおっさんだ。だが、心の芯はいつも熱い思いに溢れた人だった。彼をここまで突き動かしたのはやはり「義憤」。最初はただの失業者、そしてしがない看板絵描きから、ギター一本片手に、移動労働者として全米を渡り歩いた。大不況期の1920〜30年代に、労働組合のオルグとしても活躍し、常に貧しい労働者側からの歌を歌い続けた。米国の激動期を背景に、図らずも時代のヒーローとなった人物の一代記を描く、ニューシネマ監督ハル・アシュビーのタッチはあくまでも優しく、名手ハスケル・ウェクスラーによるの撮影は今や、この映画の一場面一場面を「古典」の領域に高めている。何回でも見て、何回も反芻したくなるような、心に滲みる映画。見るたびに、「本当にいい映画を見た」と素直に感じられる、希有な傑作である。
The Ultimate Collection
ウッディ・ガスリーはすで著作権のなくなった歴史的音源、
同様のコンピレーションはこれから世界各国で毎月のように発売されるだろうが本作は代表曲網羅で収録曲多くかつ廉価でなかなか良い、
以下「わが祖国」が実はアメリカ合衆国を歌った歌ではないことを記す、
全詩をのせて逐語訳しようかと思ったがとても長い歌なので特徴をあぶりだすために同曲をカバーしているブルース・スプリングスティーンが省略している部分を取り上げてみます、 以下は英詩と直訳
"This Land Is Your Land"
As I was walkin' 俺が歩いていると
I saw a sign there そこに看板が見えた
And that sign said no trespassin" 看板には進入禁止と書かれていた
But on the otherside でもその裏側には
It didn't say nothing! 何もなかったんだぜ!
Now that side was made for you and me いまじゃそこ(看板の裏側を指す)は俺とお前のために作ったってでてるのさ
ブルース・スプリングスティーンはこの段落を省略して歌っている、
なぜ省略したのだろう?
曲名にあるlandは祖国・国と訳されている、はたして本当にそうなのか?
ここで私達はなぜ進入禁止かを考える必要があるのだ、 説明するまでも無いがそれは私有地だからである、アメリカでは進入禁止の看板や表示は良く見かけるものの一つ、 だからno trespassingと同時にprivate property私有地と表示されることも多いのである、
ここまで書けばブルースがなぜ省略したかは説明無用のレベルだろう、 この段落を歌ってしまったらブルース・スプリングスティーンは個人の土地所有を否定する共産主義者だとアメリカで判断されてしまうからである、 この歌で歌われるLandとは国を指すのではなく具体的な土地・土壌を意味するのである、 すると曲名も自分の祖国アメリカを歌ったものではなく「この土地はお前の物」が正しい直訳となる、 それぞれの土地私有者の先祖が移民し開拓と数々の戦いの末に獲得した個人の土地そのものを指しているわけだ、 ウッディ・ガスリーはそんなアメリカの歴史を否定しカリフォルニアからニューヨークまでアメリカ合衆国のすべての土地は俺のものだしお前のものだとまるで原始共産制のような状態を賛美していることになる、
「わが祖国」が神に祝福された国であるアメリカ讃歌「ゴッド・ブレス・アメリカ」を嫌ったウッディが作ったことは有名な話、
つまり当時のアメリカという国を呪う歌と解釈すべきなのである、
ブルースは通常、ウッディ版ならタイトルのリフレインから歌いだすのも省略してこの歌を心に沁みるアメリカ讃歌に変えてしまった(grumblingをhungryとも言い換えてより詩的な叙景にしている)、 ブルースは上記段落を省略して歌うことで自分達の祖国アメリカを愛し慈しみ、国としてのアメリカとそこに暮らす市民達を讃えているわけである、 ブルースが歌う時 ”ランド”という単語には土地と国の両者が混在したまさに「わが祖国」という歌になっている、 だからこそブルース・スプリングスティーンはMr.アメリカとして尊敬されているのだ、
(ちなみにブルースの有名な3枚組ライブ盤(デイスク2トラック9)では「ゴッド・ブレス・アメリカ」のアンサー・ソングでありアメリカの最もビューティフルな歌だとブルース自身が語ってから歌い始まる、 続いてネブラスカ・ジョニー99・リーズントゥビリーブ・ボーンインザU.S.A.と歌われるのが長いアルバムのハイライトだと思う)
ギターをとって弦をはれ (1975年)
「アメリカの吟遊詩人」や「国民的フォーク・シンガー」の称号を冠され、ボブ・ディランの文脈で語られることの多いウディ・ガスリーの自伝です。20年ほど前、経営難に陥っていたレーベル、フォークウェイズ救済のためのチャリティ・アルバムではレッドベリーと共にアメリカ大衆音楽の祖として彼の曲が取り上げられ、もっと日本でも聴かれて然るべきだとも思うのですが、逆に聴かれなくてもやむなしとも思ってしまうのがなんとも複雑なところです。しかし、心のどこかに彼の残した音楽がこの現代においてもなんらかの意義を持ち得るとの確信を抱いているのと同様、本書も彼の音楽を愛好する一部好事家のみに機能する補助的なテキストではなく、ひとつの作品として独立した価値を有するものだとの手応えを、20数年振りの再読で感じました。飽くことなく今も脈々と作り続けられるロード・ムービーの類いの作品がお好きな方にはぜひお勧めです。ただ、中古でこの値段はあんまりなので、改訳の必要はありませんから、どこかが再発してくれたらいいのですが。