本号の目玉記事の1つ「『反差別』という差別が暴走する」(深田政彦記者による署名記事。pp.32-35)に対して,参議院議員の有田芳生やジャーナリストの安田浩一などが批判的なツイートを飛ばしている(特に有田)。しかし,まるで要領を得ない批判で,これはおそらく記事の方が正鵠を射たのであろうと踏んで読んだら,果たしてその通りであった。
たしかに,記事中には不明確であったり,やや説明不足と思われる箇所もあるが,全体として論旨が破綻しているとか,とんでもないことを述べているといった記述はない。記事は要するに,ヘイトスピーチに対抗する「反ヘイト」に向けられた批判だが,その理由は大きく次の2つである。
1つは,反ヘイト活動家(の一部)が用いる手段についてである。暴力も厭わない過激な活動はそれ自体が許されないばかりか,新たな憎悪を生むだけではないのか,活動それ自体が自己目的化していないか,といった疑問が呈されている。
もう1つは,反ヘイト活動家(の多く)が求める,ヘイトスピーチに対する法規制の是非についてである。海外には規制に対する見直しが行われている国もあることを挙げたうえで,規制は表現の自由に対する「萎縮効果」(35ページ2段目)をもたらすのではないか,現行法での対応で十分ではないかといった指摘がなされている。
したがって,有田(@aritayoshifu 06/17 16:57)や安田(@yasudakoichi 06/17 10:05)のように "ヘイトスピーチがもたらす弊害に触れていない" などと批判するのは全くの筋違いだ。それは同記事の前提ではあっても論点ではないからである。図書館にある『アンネの日記』が何者かに破られたという記事を書く際に,わざわざユダヤ人迫害の歴史やナチスによる虐殺の詳細を書く必要はないのと同様に,ヘイトスピーチをテーマにしたからといって,被害者の苦しみを常に書かなければならないというものではない。百歩譲って,こういった前提事情までもを逐一文章にしなければならないのであれば,それは結局のところ『ニューズウィーク日本版』の読者を見下していることに他ならない。記事では在特会側の行動が「あからさまな差別」(32ページ2段目)などと一刀両断にされていることからも分かるように,ヘイトスピーチが許されないのは,あえて論じるまでもない当然の前提である。
反ヘイトに対する批判の根拠が上記の2点にある以上,記事への反論もこの2つに対するものでなければならない。具体的には,
(1)ヘイトスピーチに対しては暴力などの非合法的な対抗手段も許される
(2)ヘイトスピーチに対する法規制では表現の自由は侵されない(あるいは,侵されても構わない)
などと主張することになるだろう。
それでは,有田はこういった反論をしているのか。今のところは否である。おそらく今後もこの点に対して真正面から答えることはないだろう。上記(1)に関して有田は,反ヘイトの活動は「『力で抑え込む』ことを目的としたものではない」(06/17 08:44)とよく分からないツイートをしているが(じゃあなんで逮捕者が出てるの),活動家当人が「自分たちを汚れ役だと自任している」(34ページ1段目)うえ,有田自身もこういった活動を「ぎりぎりまでやってくれる」(同2段目)と評価しているのであるから,何をか言わんやである。「『良識の府』である参議院の議員とは思えない言葉」(同)という記者からの批判に対しては,「論評だから勝手にどうぞ」(06/20 14:59)と来たもんだ。国民からの批判に対して正面から答えないとは大した議員先生だ。事あるごとに「文句があるなら選挙で落とせばいい」と言っていた,橋下徹を彷彿とさせる発言である。
クリティカルな批判には答えない代わりに,有田は本筋から外れた批判を延々と続けている。しかも,これらには記事の誤読・曲解が含まれているのだからタチが悪い。一部を指摘してみる。
●(@aritayoshifu 6/18 07:05)記事は「差別団体に批判的言及がない」「深田が引くのは『朝鮮人を日本海にたたき込め』だけだ」
→第1文と第2文が矛盾している不思議なツイートだが,結局どちらも間違いだ。記事の最後には「『韓国人=腐れ売春婦』というプラカードを堂々と街頭で掲げる差別活動は到底、容認されるものではない」(35ページ3段目)と書かれている。
●(@aritayoshifu 06/17 09:12)記者は「入れ墨=暴力団だと思い込んでいる」
→どこにもそんなことは書いていない。記事には「刺青をちらつかせて在特会デモに肉薄し、にらんで怒鳴りつける」(pp.33-34)とあるだけ。この文から読み取れるのは,せいぜいが "刺青は威圧の手段として用いられることがある" という前提であろう。これ自体は当たり前のことである。
●(@aritayoshifu 6/17 08:40:09)記事のリード文(p.32)にある「『彼らが求める法規制』も不明」「内容がスカスカ」
→頭悪すぎだろう。リード文に内容を詰め込んだら,それはもはやリード文ではない。ちなみに同記事を読めば,かかる「法規制」がヘイトスピーチに対する罰則であることは誰でも読み取れる。これは単なる国語力の問題である。
こんなバカな政治家から意味不明な攻撃を受けるのだから,記者も大変である。が,結果として,有田の頭の悪さと独善ぶりをさらけ出したのは大きな収穫だ。
具体的な指摘もないままに,取材に対して「だまし討ち」を連呼する有田には,己が国会議員=全国民の代表(憲法43条1項)である意識など微塵も見られない。タレントじゃあるまいし,もとより取材対象を自由に選べる身分ではないだろう。挙句は記者を「ザイトク界隈の別働隊」「オウムよりも統一教会よりも悪質」呼ばわりである(06/16 20:41,21:31)。レッテル張りが好きだねえ。まさにこういった短絡的な発想こそが,本記事の批判するところである(33ページ1段目)。
ヘイトスピーチ規制の目的は,マイノリティの保護である。しかし厄介なことに,法律というものは,どんなに美辞麗句を並べ立てたところで実際に運用するのは多数決で選ばれたマジョリティなのである。いかなる属性を持つ者が「少数者」に当たるのか,その少数者がどんな条件でどういった保護を受けるのか。ヘイト規制は,これらを決めるのが実際のところは「多数者」であるという根源的な矛盾を孕んでいるのである。
有田は,かつて佐野眞一が橋下徹を口汚く罵った『週刊朝日』2012年10月26日号の記事を
ツイッターで絶賛していた(2012/10/17 12:51)。自身の政敵であればその者の "出自" を暴き,「汚物」などと罵倒した記事も「すこぶる面白い」となるのか。この程度の人権感覚しか持ち合わせていない者が「ヘイトスピーチとたたかう!」などという,いかにも美しい理念を掲げているのだから,有権者は有田を厳しく監視する必要があるだろう。本号の記事は支持できる。
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ところで,別の記事にある「11年7月に
ノルウェーで93人を殺害した白人至上主義者」(p.30)というのは「77人」の誤りじゃないかな。
(2014年6月21日午前0時投稿)