やっと見る事が出来ました。
大人になって二度と体験できない事の一つが夏休み。
朝から晩まで外で遊んだり、夏休みの宿題に悩まされたり。
そして、いつもそばには「いけちゃん」が居た。
そう、誰もが「いけちゃん」の存在を信じていた。
養老先生的にいえば、子供は自然の一部なのだから
おばけや神様といった大人からすれば「存在しない」と信じているものが
見えてあたりまえなのだろう。
民俗学でも子供の自然性や女性の自然性が昔から語られている。
子供から大人への流れの中で、何を失い、何を得るのだろうか。
人生の一回性の中で、循環する時間を持ち続けられる事が子供の
自然性の一部を失わない生き様なのだろう。
そう、直線的な時間で終わってしまう、儚い人生の対極として。
いけちゃんとぼく(あとがきより)
むかし好きだった人たちの子供のころにあいに行きたくないですか。
ねえ なにしてるの?
って ほっぺをつまみに。
きっとね
アリの巣掘りかなんかして
返事もろくにしてくれないだろうけど。
そんなことを時々思ったりしていたら
わたしの ところに男の子がひとりやってきて
ねえ何してるのって聞くとやっぱり
ざりがに釣りかなんかして返事もしてくれない。
さいしょは私の子供だって思ってたけど
どうもちがう気がしてきて
ああ 私はいま
好きだった人たちの子供のころを
のぞいているんだって気がついた。
ねえ
何してるの?
どこへ行くの?
男の子って走るのがはやいね。
わたし
あなたのこと好きだったの。