ヒロインは可憐で健気、守ってあげたい女、NO1のリリアン・ギッシュです。この作品でも決してファンを裏切ってません。見所はなんといってもグリフィス監督お得意の『最後の救出劇!!』 これを見ずしてこの映画を語るなかれ!
リリアンギッシュだけ特別扱いしたくはないですが、彼女の演技力の幅とその俳優魂の根性の据わった演技に感激しました。 確かに画像は古いので鮮明さには欠けますが、最後の氷の湖の演技の迫力に圧倒されました。最後の”八月の鯨”の演技にもそれを見てとれます。相手役の俳優の“イケメン”君は、今なら並ぶ人がいないほど美しい~ 圧倒的な迫力に脱帽でした。
本書の最初の部分は、著者の博識と着眼点の新鮮さが際だっている。しかし、仏教の主眼であるはずの「成仏への道」の章で、“私によれば、『法華経』は、空の立場に立って成仏を説いた最高の経典なのである。宗教はことばそのものであるという見方に立つならば、詩的でもない文章や文学的でない経典は、いつわりになる。しかるに『法華経』ほど文学的な経典はない。ただこの一点をもってしても、『法華経』だけが真実であるという信念は十分に理解できる。”という主観だけで論旨を展開した文章を目にした時は絶句した。
「仏教読みの仏教知らず」ということであろうか。著者の『縁起』に対する理解も主観によって狭められ、時間的な世界観に限定しているとしか思えない。釈尊の説かれた『縁起』は「時空(時間と空間からなる世界)」を想定した真理だと受け止めるべきであろう。大乗の三法印と小乗の三法印に共通するのは『諸行無常』と『諸法無我』であるが、『諸行無常』は「時間軸で眺めた縁起」を表し、『諸法無我』は「空間軸で眺めた縁起」を表すと考えることができる。つまり、「縁起=諸行無常+諸法無我」である。だからこそ、縁起に気づくことを重視した小乗は『一切皆苦』を加えて三法印とし、縁起を支配できることを重視した大乗は『涅槃寂静』を加えて三法印としたのである。
さらに、釈尊が弟子を「四沙門果」に導くために編み出した「三十七菩提分法」を、“縁起的思考とは矛盾する”と述べているが、それは当然なのである。縁起的思考は欲界・色界・無色界を支配するが、四沙門果の最終段階である阿羅漢果はこの三界を超越するからである。
サイレント映画の良さって、観終わって少し時間が経って思い起こすと 演者の叫び声とか悲鳴とかが頭に残っているんですよね。 リリアン・ギッシュがどんな声かっていうのは、イメージついてます。 それだけ、画的に訴える力がすごいんだと思います。
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