ビデオ化された直後、中学校の授業で見せられて何せみんなトトロのオマケ程度に上映されたことくらいしか知らないものだからその衝撃ときたら…見る前にふざけた態度をとっていた悪ガキでもエンディング後には身動きどころか言葉を発することが出来ずにいたくらいクラス全体が異様な雰囲気に包まれいたのを思い出す。節子と変わらぬ歳の妹がいた自分も多分にもれず号泣した。そして数年後元気だった親父が病死し長男の俺がまだ小学生である妹を守り抜くんだとふと火垂の墓を思い出した。自分にとって節子は妹であり、またこの命果てようとも家族を守ると奮い立たせる教本的作品である。そんな妹も大学卒業まであとわずか。清太よ!お前の分まで妹を守りきってやるぜ
高畑勲監督の『火垂るの墓』(製作・
新潮社)は、ご存知の通り、宮崎駿監督の『となりのトトロ』(製作・徳間書店)と2本立てで、昭和最後の年、ゴールデンウィーク前に公開された。
オレは当時、東宝系の劇場で『火垂るの墓』を観て強い衝撃を受け、特に年配の女性の方を中心に「こういう映画があります」と口コミで伝えることに精を出し(オレが話す大雑把な“あらすじ”に、涙ぐまれる方も少なくなかった)、実際に、母などを連れて行ったりもした。各方面で、そういったような口コミの効果があったのか、当時「2本立ての2本目は割引」を行なっていた最後の回―現在の「レイトショー」が始まるぐらいの時間に、すべての上映が終わる―は、年配の、主に女性のお客さんで少しずつ混みあうようになって行った。
『火垂るの墓』が凄かったのは、このあたりの、実際に戦争を「知っている」世代の方々からみて、劇中の時代や人々のありようがリアルに描かれていたばかりでなく、実体験としての戦争というものを「知らない」世代にとっても、ある意味、きわめてリアルな世界を提示してみせた、ということだったと思う。
本書の冒頭に配された山田洋次監督のインタビューは、確かに―同業者の作品を語ったものとしては―巧みな、深い「読み」には欠けているかもしれないが、戦争を「知っている」世代がこの作品に感じたリアル感というものに気づかせてくれる、という意味において、優れたイントロダクションになっているのではないかと感じた。
本書は、これまでに出た書籍やビデオグラムなどの中に収められた『火垂るの墓』関連の文章やインタビューなどの再録、もしくは文字起こしによってその多くを構成されており、既にそういったものにひと通り触れている方にとっては退屈なものかもしれないが、こういったものが集められ、ひとつに凝縮されることによって、不思議な緊張感が生じているのもまた、事実だ。
正直に言って、必要のない文章もないことはないけれど、《
ジブリの教科書》シリーズ恒例となっている、大塚英志さんによる「『火垂るの墓』解題」の鋭さや、2013年に亡くなった、アメリカで最も信頼されていた映画評論家のひとりであるロジャー・イーバートさんらによる、海外での『火垂るの墓』の評価や反響について伝える文章―amazon.comで、本作の
英語タイトル“Grave of the Fireflies”で検索すると、あまりの高評価に驚くことになる―など、「目からウロコ」な部分も、また多い。
そして、なんといっても本書の中で最も面白いのは、「できるまで」を追った部分だろう。
新潮社に入社間もなく『火垂るの墓』製作委員会の一員となった村瀬拓男さんが明かす、劇中歌われる北原白秋の「あめふり」の替え歌をめぐる、著作権継承者との駆け引き。
『火垂る』と『トトロ』を同時に担当することになり、この2作品のために250色の絵の具を新たに作った、色彩設計・保田道世さん。
加えて、鈴木Pによる打ち明け話。ここにチョコチョコ出てくる宮崎駿監督の存在感、そして宮崎監督に負けず劣らず、いや、もしかするとそれ以上の“スゴい人”っぷりを高畑監督がみせるあたりは、立ち読みでもいいので必読、と書いておきたい。
本書全体で、およそ20ページがカラー、もしくは色がついており、その多くは、キャラクターデザインと作画監督を務めた近藤喜文さん―1998年、47歳で急逝。『火垂る』および『トトロ』の制作開始にあたっては、高畑・宮崎両監督のあいだで、腕の立つ近藤さんの争奪戦となった―の、本作での仕事ぶりを伝えるものとなっている(ちなみに本作には、作画
スタッフとして庵野秀明さん、撮影
スタッフとして大地丙太郎さんがそれぞれ参加しているが、本書の中では
スタッフ・クレジットに名前が記されているのみとなっている)。
『火垂るの墓』、ときいて心がざわつく方であれば、とりあえず読んで損のない一冊といえるだろう。
なお、
『火垂るの墓』のシネマ・コミックは、本書に少し遅れて刊行されている。
まず清太が戦争を生きようとしなかったなどというレビューはこの映画を全く理解していない人の意見だと思います。清太と節子が死んでしまったのは、清太の判断で2人が親戚の家をでていってしまったのが原因だというのはわかります。本来なら清太は親戚のおばさんに謝って、家事の手伝いなどをして何とか家に住まさせてもらうべきでした。でもなぜそうしようとしなかったのか。その理由はただ一つ、清太がまだ"子供"だったからだと思います。それは本編をみる限り、清太の家庭が裕福でおそらく特に何不自由なく生活してきたのが関係しているはずです。常識や礼儀を覚える早さは家庭や周りの環境で個人差があります。つまり清太は親戚の家に住まさせてもらうためにすべき事をしなかったのではなく、まだ知らなかっただけで、家を出ていったのも、おばさんを嫌がっていた節子のために子供の清太が考えてだした決断なのだと思います。確かに清太の判断は正しくなかっのかもしれない。でも、それでも清太は節子とずっと生きていけると思っていたはずだし、節子のために必死に走り回り、必死に生き抜こうとしていました。そんな妹思いの優しい少年が最後はあんな可哀想な姿で死んでいきました。当時はそんな清太と同じような境遇の子供がたくさんいたんじゃないでしょうか。この映画は清太が戦争時代を生き抜こうとしなかった話でも、清太のだらしなさを象徴した話でも決してないと思います。