「読まれるべき映画」、または
「読解・
解読を楽しむ映画」。
・・
山川直人自身がどれだけ「マジ」だったのかは
知らないが、昔は「そーゆー時代」だった。
唐突にビデオ出演する高橋源一郎。徹頭徹尾
マルクス・エンゲルスに「刑事さん」呼ばわり
され続ける「巡査」の三上寛は、徹頭徹尾
「津軽弁」しか喋らない。ラサール石井の
「殉死」を目の前に、郷田ほづみがスローターハウスの
天井に空いた大穴から「涙雨」の豪雨を降らせる。
原田芳雄と真行寺君枝のマシンガンの掃射。
主人公とヒロインとの「対決」。
・・
映画自体が多くを語り過ぎる、その「饒舌さ」が
齎す「豊穣」を楽しむ一作。
昭和二年の心中騒動後から、友人宇野浩二発狂の知らせを受けるまでの時期を描いた三部作の中篇。
こう書くと何やら物騒な感じだが、広津和郎、室生犀星、内田百間等との交友が山川直人独特の
穏やかで温かみのある
タッチで、ユーモラスに描かれている。
その為、谷崎潤一郎との論争も、考えの違いこそあれ、不倶戴天の争いというようなシリアスなものでなく
実際は互いに通じ合うものを持っている「文士の情」というものがあったのだろうなと思わせてくれる。
そもそも「小説」を「漫画」に置き換えている時点で、「漫画的な、余りに漫画的な」手法だが、
カラー原稿の作画を巡ってパソコンが出てきたり、芥川が講演でボブ・ディラン張りにフォークギターを
掻き鳴らしている(実に似合っている!)一コマ等、芥川龍之介の人となりを、上手に引き寄せている。
これは谷口ジローの描く夏目漱石のように、芥川が「ひゃっ、ひゃっ」と談笑する顔など、もうこれ以上の
イメージがわかないほど見事にはまってる。
特に中篇には改造社の宣伝映画「作家の生活」の撮影を描いた第二十一話が収められており、芥川龍之介の
実像を、ほんの数ページでフィルム以上に活写してみせてくれる。
「芥川龍之介=才気走った天才作家」という固定されたイメージを解かしてくれる快作。
「読まれるべき映画」、または
「読解・
解読を楽しむ映画」。
・・
山川直人自身がどれだけ「マジ」だったのかは
知らないが、昔は「そーゆー時代」だった。
唐突にビデオ出演する高橋源一郎。徹頭徹尾
マルクス・エンゲルスに「刑事さん」呼ばわり
され続ける「巡査」の三上寛は、徹頭徹尾
「津軽弁」しか喋らない。ラサール石井の
「殉死」を目の前に、郷田ほづみがスローターハウスの
天井に空いた大穴から「涙雨」の豪雨を降らせる。
原田芳雄と真行寺君枝のマシンガンの掃射。
主人公とヒロインとの「対決」。
・・
映画自体が多くを語り過ぎる、その「饒舌さ」が
齎す「豊穣」を楽しむ一作。
「夜の太鼓」から月を空けずにして出版されたこの「道草日和」、夜の太鼓が中編集だとするならばこの一冊は短編集、ショートショートの連続です。
数ページの中で読者に印象を残すは流石の一言。内容量が限られているので作品ごとの説明がそのままネタバレになってしまうので詳しくはかけませんが、
タイトルにあるように読者の生活からの”道草”というニュアンスが強く、読後の印象は殆ど(もちろん例外もある)が優しいもので絵柄がその具合を強めています。氏の作品は童話的な
タッチとダークな物語との組み合わせが生む奇妙な雰囲気こそが味だと思っていたのですが、こういった作品を書くと素敵な幸福感に包まれますね。不幸の中にある小さな幸福は、読む者までも救います。ただ、一方で幸福の中に不幸が見えるような作品もある。救いのない、悲しいものがある。道草の街にある、いくつもの生活の一側面が書かれています。良作集です。
(芥川龍之介の描写があったのは、氏の作品のファンとして、とても嬉しかった)