あさのりじ版「光速エスパー」は、雑誌「少年」に連載されていた当時、リアルタイムで読んだ。
あさの氏の作品は「発明ソン太」なども同じだが、不思議な曲線で描かれたメカが、実に生き生きとメカとして作品中で動いている。
少年心にも、面白い絵だと感じられたものだった。
大人になり、すでに少年の心をなくした私であったが、今再びあさの版「光速エスパー」を読む機会を得て、失われたものが戻ってきたように感じた。
今、このようなマンガはない。
マンガが子どものものであり、みんなが子どもの目線で作品を雑誌を作っていたことが、今になって分かる。
ストーリーの細かいつじつまなど、どうでも良いのである。
まず面白いこと、そして正しいものが勝つ、ということが大事なのだ。
徹底したデフォルメがされているのにもかかわらず、終始崩れないデッサン力による安定した絵柄。
昔のマンガ家より、多分今のマンガ家の方が絵はうまいのだろうが、余計なものを書き込まない、というのは、実はとっても難しいのだ。
なにしろ、ごまかしがきかないのだから。
エスパーが東芝のキャラクターであり、販促を兼ねたマンガ化だったことは有名である。
でも、のちのテレビドラマ化と連動して始まった松本版「エスパー」より、私はあさの版のほうがずっとずっと好きだ。
松本版よりあさの版が評価されない理由が、私には分からない。
単純な線、単純なストーリー、しかし、そこから飛び出す爽快感こそ、少年マンガの真髄である。
あさの版「エスパー」には、まちがいなくそれがある。
今では「アンパンマン」などの幼年向けマンガでしか見られなくなってしまった絵柄だが、かつては手塚、石森、横山、藤子諸氏の作品など、みんなこういう感じだった。
白土三平だって「ワタリ」や「真田剣流」のころはムダな書き込みはなかった。
久松「
スーパージェッター」などもこの仲間だ。
みんな夢中になっていたものだ。
うん、実にヒーロー物に良く似合う。