「舞姫」の内容を紹介している件が、原作とはやや異なっていました。それから、この放送の後に出た六草いちかさんの「鴎外の恋」で、この番組が鴎外の恋人として想定していた少女は鴎外の恋人ではない、ということが証明されてしまったので、なんだか残念なDVDです。
昭和30年代後半の生まれの方には、とても懐かしい曲ばかりが入っています。
3人がバンドを組み曲に強弱をつけ力強く歌う姿が思い出してきます。
ラジオやTV番組などでも人気を集め今でもカラオケで歌ってしまう程の
曲で、とても懐かしいです。
一曲一曲の音の再現がよくできたCDだと感じる1枚です。
是非、
アリスという曲をあまり知らない方でも聞けば良いと思えるCDなので
購入をお勧めします。
PCなどに読み込ませる際には曲名は外国名で表示されてしまいますので
(
ローマ字表示ではありません)あとで編集で日本語に編集しなおせば
曲名が分かり易く良いと思います。
昭和50年代、
ドイツ駐在の二人の商社員が「発見した」エリーゼ・ヴィーゲルトは、金髪の乙女ではなく、ユダヤ系の年上の人妻であった。
昭和40年代、成瀬正勝の「舞姫論」に始まり、昭和50年岩波「文学」に連載された竹盛天雄の「石黒日記
解読」から始まった「エリーゼ追跡」は、アサヒテレビ「百年の恋」で意外な展開を見せた。「エリーゼ」は、
ベルリンにあったシュナイダー商会の三十代のユダヤ系の女性だというのである。
ベルリンの「鴎外記念館」理事、ベアーテ・ヴェーバー女史は、積極的にこの「人妻説」支持したが、女史の日本での講演は雑誌「鴎外」による熱烈な鴎外マニアの反発もかった。
ベルリンで偶々女史から直接話を伺う機会もあった評者は、千駄木の「鴎外記念館」で「エリーゼ」が鴎外に贈った「モノグラム」を見て、その精緻さと丁寧さに心打たれた。それは、まさしく東洋の若い留学生に憧れ、結婚の約束を信じ、高価な一等切符でかけつけた乙女のものと思われたのである。しかし、どのような研究書を読もうとも、もはや、この謎を解き明かすことは不可能と思われた。
評者の個人的心証で言えば、「エリーゼ」は、鴎外の母、峰子を思わせるような、凛とした、勝ち気な、しっかりものの娘であるはずだった。これは、鴎外がふと漏らした一言を知る家族の手記と、短編「最後の一句」の「いち」という少女の面影と重なるものである。
2000年、法学者、植木哲氏の「新説 鴎外の恋人エリス」(
新潮選書)が発表されると、状況は一変した。植木氏は「エリス」を追跡してついに「ルィーゼ・ヴィーゲルト」までたどりついたのである。これは、
ベルリンの古い土地登記簿にあたる地道な
調査の成果であった。
今野勉氏のこの本は、これらの様々な謎をほぼ解き明かしてくれるように思える。つまり、一定の合理的な解釈と説明を試みられており、基本的にうなずけるものである。また、これまでの「論争史」のポイントを踏まえて、三十年以上の時間をかけてこの問題をあたためてきた著者の誠実さにも、感動すべきものがある。
しかし、この書物の刊行直後、六草いちか氏により、もう一つの「エリーゼ像」が提示された。六草氏の研究も説得力のあるものであり、何より、15、6歳の「エリーゼ」が現実的なのか、という根本的な問いかけがある。
個人的な感想を言えば、評者は、最初から「15,6歳のエリーゼ」に疑問を持ってきた。ゲネラル・ヴェーダー号の乗船記録でも「レディ」として扱われていることも気になった。明治以来の鴎外研究者が小説「舞姫」と鴎外を混同した結果かも知れない。或いは、小金井喜美子の証言に左右されたかも知れない。しかし、研究史的に見れば、間違いなく、エリスは、「乙女」なのである。
アマゾンのレビューは、六草いちか氏の研究を画期的と捉えるものが多い。しかし、評者は「ちょっと、待って欲しい」と感じている。特に、「舞姫」と「エリス」の混同は避けなければならない。比較文学論的に言えば、「舞姫」は「貴公子と町娘の悲恋」といったパターンで作られた作品である。「太田豊太郎」も、もちろん「鴎外」ではない。森林太郎本人でなければ分からないことも多く、結論は出せないのである。