第1回
アテネ五輪から2年前のソルトレイク冬季五輪まで日本では
日本人中心に放送されることが多いので、知らなかった偉大な選手や
オリンピックの歴史を知ることができて、内容はすばらしいの
一言なのですが、唯一の不満は、日本人にとっては忘れることの
できない長野冬季五輪が完全にカットされている点です。
あのジャンプ団体の金メダルなんかも入っていると思っていたので、
残念でした。この点が星4つにした理由です。
歴代のマラソンランナーの中で、アベベほど伝説になった人はいないだろう。彼の走る姿は、多くの人に感動を与えたが、それは彼の端正なホーム、全く苦しさを表さない彫りの深い顔、オリンピックで優勝しながら、淡々と整理体操をした姿、貧しいアフリカの農村からやってきたことなどによるのだろう。
しかし私も、そして多くの彼のファンも、彼の人生がどんなものであったのかについては、殆ど知らなかった。
この本を読んでから、アベベについて持っていた印象は全く違ったものになったが、アベベもまた普通の人間の悩みや夢と無縁でなかったことがわかって、敬愛する気持ちはかえって強くなった。
アベベに興味がある人にとっては必読書と言える。
美術家の横尾忠則さんが先日(10月9日)、朝日新聞の書評で紹介されていた本です。
オリンピック史上初のマラソン2連覇を達成した選手とはいえ、名前を聞くのも初めてのような人物。
横尾さんの書評はアートや映画関係の本が多く、いつもなら書店で手にしてから購入するのですが、それでも読むことにしたのは「なんとも悲哀に胸痛む運命的な二人の生涯」という横尾さんにしては珍しいほど率直で屈託のない紹介文のせいでした。
本書では三つの死が描かれています。
最後は脳溢血で息を引き取るアベベ、翌年、アベベを寵愛したエチオピア皇帝ハイレ・セラシエは暗殺で非業の死を遂げ、さらに10年後、アベベとは親子とまでいわれた
スウェーデン人トレーナーのニスカネンは、エチオピアの土になりたかったにもかかわらず、その意に反して故国の町で客死するように人生を終えています。
自らの意志であれほど輝いていた3人、栄光の頂点にいた3人が、願いもむなしくやがて人生に裏切られようにして最期を迎えるどうしようもない寂しさ。読みおえたあと、フッーとため息をもらしてしまう切なさが、横尾さんの言う「なんとも悲哀に胸痛む運命的な二人の生涯」なのかもしれません。
大仰な悲壮感ではありません。生きることにつきまとう一種のあきらめの感情、あるいは透明な悲しさのようなもの、波瀾万丈の人生も一篇の走馬燈として語られる短切な哀れさ。人生に対する静かな徒労感に襲われたのもそのせいかもしれませんが、とはいえ本書の読後感はあくまでも心地よい疲労感です。
もちろん、本書はそれだけの本ではありません。
無名の貧しい黒人青年がその才能を開花させて世に出て行くけなげさ。レース前、名前もろくに読み上げてもらえなかった
ローマオリンピックで、世界の強豪をつぎつぎと抜き去り、奇跡のようにして勝ち得た金メダルの衝撃とその意味。試合前の新聞記者の嘲笑は一転して、上を下への大混乱に陥ります。本当に胸のすくような快感です。
夜の闇(
ローマ大会のマラソンは夕方にスタート)のなかをたいまつの火にかざされながら走るシーンあたりから、本書もスピードを一気に高め、ページをめくる手ももどかしく感じる勢いで東京オリンピックへとどんんどん進んでいきます。快い読書の速度感と高揚感ですが、それだけに得意の絶頂で待ち構えていた悲劇への転調が際立ちます。
原作はイギリスですが、イギリス人ではなく日本人のためにかかれたような本かもしれません。東京オリンピックでは銅メダルだった円谷幸吉選手の自殺についても書かれており、ゴール直前に円谷選手を抜き去ったイギリスのヒートリー選手がこのときのレースについてインタビューに応じています。