愛媛に単身赴任している時に、休日遍路で札所を回ったことがありました。
車で札所まで行って、そこから2、3つ先の札所まで歩いて、また車のある札所まで戻って...
この繰り返しで88箇所を打ちきったこと。高知だけは札所と札所を車で移動しなければなら
なかったこと。愛媛西部、徳島南東部は一泊しなければならなかったこと...
...などなど、たくさん思い出しました。
千年を超える歴史を持つ
四国遍路。
旧遍路道になっている畦道を歩きながら、遠くの山並みを眺めると...千年前のお遍路さんも、
きっと同じように額の汗を手でぬぐいながら、同じような景色を眺めていたんだろうなぁ〜、
と、連続する時とつながっている人の営みに、なんとも不思議な気持ちになります。
遍路の衣装を身にまとっているだけなのに...自分よりもはるかに年上の方が、手を合わせて
くれて、それに応えるように自然に合掌する自分を見つけたり、お接待でみかんをいただいたり、
車で次の札所まで連れて行っていただいたり...都会では感じることが少ない「人のぬくもり」を
感じさせてくれる世界です。
そんなふうに休日ごとに遍路を繰り返していたある日、ふと、こんなことに気づきました。
観音様であれ、お地蔵さんであれ...ご本尊に向き合って手を合わせて、
般若心経を唱えている時
のことです。
「あ〜ぁ、観音様もお地蔵さんも拝んでもらうためにここにいるんじゃなくて...
鏡になってるんだ!手を合わせている人の中に観音様やお地蔵さんがいるってことを教えてくれてるんだ」
そんな思いが、ふっと湧きあがってくるんです。
熊倉さんと一緒に、この遍路道を歩いてみてください。
準備ができてから、アタマで考えてから、始めるんじゃありません。
歩きながら、やりながら、気づいていくんです。
濁れる水の流れつつ澄む (山頭火)