本書は、中国近代史を専門とし、
現在は東京大学准教授である著者が、
清朝がどのように近代を迎えたのかを論じる著作です。
筆者はまず、広範かつ多様な人民・地域を統治した清のシステムを紹介したうえで、
それが相次ぐ農民反乱や西欧進出によって、変容していく様子を描きます。
また、海外に移住した華人たちのたくましい姿や、
飢饉や社会問題とそれに対処すべく結成された結社など
清朝末期を生きる民衆の姿も紹介します。
外交上の複雑な懸案となった謁見の儀式
まるで明治の東京を思い起こさせる
上海の様子
そして東南アジア各国と交渉に当たった鄭観応など、
興味深い記述が多いのですが、とりわけ印象的なのは、
字が書かれた紙を大切に扱うことを主張する社会運動「惜字」です
清朝の衰退とその原因を
コンパクトに描いたの本書
中国史に興味がある方に限らず、多くの方にオススメしたい著作です。
現在、中国の少数民族としての「満州族」は約一千万人。日常、満州語を話す満州族はイリ地方に僅かに数万人を残すのみと言われる。しかし、1636年、瀋陽で建国され、1912年、南方での武力蜂起(辛亥革命)で崩壊するまで276年間、東アジアの広大な領域を支配した王朝は満州族によって作られたのである。「清朝」は、建国当時、満州人、
モンゴル人、漢人(13世紀、
モンゴルに遼東半島に連れてこられた高麗人の後裔)による合同政権であり、公用語も満州語、
モンゴル語、漢語の三種類だった。
清朝の最盛期は、「康煕」「雍正」「乾隆」の三代(1662〜1795)である。19世紀になってアヘン戦争や太平天国の乱によって曽国藩、李鴻章らの漢人官僚(著者は彼らを「軍閥」の起源と指摘する)が登用され、漢化が進んだように見えるが、清朝初期は、まさしく満州の狩猟民の出自にふさわしい日常が展開されていた。また、清朝「皇帝」は漢人から見る姿であって、満州族から見れば「部族長会議(クリルタイ)議長」であり、
モンゴル人にとっては「大ハーン」、チベット族には「最高施主」、トルキスタンのイスラム教徒にとっては「保護者」だった。著者によれば、大清帝国の本質は、五大種族の同君連合だった。
「康煕帝の手紙」は、そのような清朝の発展途上にあって、康煕帝がジューンガル部の君主ガルダンに対する三度の遠征の途次に、
北京で留守を預かる皇太子にあててしたためた手紙を、満州語から直接翻訳して紹介したものである。手紙からは、遠征の様子や、
モンゴル高原の風景、百合の花、マメ科の植物の叢生するさま、そして息子へのいたわりや気遣いがもれてくる。知略と剛胆さで知られた皇帝の人間的な温かみや人間社会への洞察が浮かび上がってくる。そしてそれは、やがて皇位相続をめぐる皇太子の悲劇を予見させるかのようである。
ハルハ部を内
モンゴルに追いやったガルダンは、青年期をチベットのラサ、シガツェの僧院で送った。
モンゴル高原はボン教(チベット仏教)の影響下にあったし、当時のダライラマ五世、六世は権謀術数を好んだ。康煕帝にとっては、悩ましい相手であっただろう。
戦前の日本陸軍は、敗戦直前、遅まきながらも中国と
ロシアの中間にある「
モンゴル−トルキスタン回廊」の戦略的価値に気づき、1944年、大東亜省の管轄下、張家口に「西北研究所」を設置し、そこに今西錦司や石田英一郎、梅棹忠夫らを集めた。また、特務機関員の木村肥佐夫や西川一三は現地人に偽装して青海省を経てラサに潜入し、国民党政権への工作の可能性を模索した。敗戦のためにそれらの努力は無に帰したが、「フィールドワーク」である貴重な記録は残り、今も読み継がれている。(個人的なことは書くべきではないかも知れないが、1980年代、評者が登山隊の登攀隊員としてチベットに数ヶ月滞在したとき、事前に読んだのは木村や西川の記録である)
「
モンゴル帝国から世界史は始まる」というのは、最も有名な「岡田テーゼ」であろう。これは、「地政学」と「梅棹生態史観」とを三枚の合わせガラスのように重ねると理解しやすい。「
モンゴル帝国以前」と「以後」というくくりは卓抜であり、世界史を統一的な視点で見る仮説として最も有力で整合性を持つもののように思われる。
モンゴル帝国以前の世界は、各地域の文化圏形成期の物語である。
東ヨーロッパ平原から
モンゴル高原に生きた遊牧民族の主体性と彼らの文明世界を見ていくことが「中国(シナ世界)」を公正に評価するために不可欠の視点であり、同時にそれが日本に於ける東洋学の系譜を担う岡田氏に対する正直な評価を生むように思える。また、清朝領土の四分の三の面積を占めた遊牧民・狩猟民の生活地域を、これまでの「漢語文献偏重(漢人記述者偏重の観点)」の束縛から解き放たれた形で見据え、広くヨーロッパまで視野に入れて考察する「岡田史観」こそ、今、細分化された地域史学の枠を超えて歴史学と歴史教育に当たる者が真剣に検討しなければならない。
本書は、かつて中公新書の一冊として上程されたものに大幅に手を加え、「清朝史叢書」の第一巻として刊行された。岡田英弘氏が、「東アジア世界」を漢語文献のみならず、
モンゴル・満州・チベット・トルコ語文献・資料から広く展望できるようにされた功績は余りに大きい。17世紀、8歳で即位した若き皇帝の眼差しに映った世界。清朝から見た東アジア世界がどのようなものであったのか。この叢書が、広く、多くの読者に読まれることを願わずにいられない。
福山雅治作・プロデュースの「ひまわり」という楽曲も、前川清という歌い手にとってはそう突飛なものではないのかな、ということを感じさせるアルバム。
中島
みゆきが提供した「涙」などのオリジナルと、徳永英明の「恋人」、中西保志の「最後の雨」などといったカヴァーを交互に配置。「HOWEVER」など、曲によっては、こんなに胸に響く曲だったのか、という驚きすら感じさせてくれる。
また、福山が担当していた深夜放送に届いたリクエストがさらに反響を呼び、前川がゲストとして番組を訪れ……と、「ひまわり」誕生のきっかけを作った「抱きしめて」も収録。
全体にスムーズな流れで、落ち着いて聴け、きっと気持ちよく泣かせてくれる構成の1枚だ。
追記:その後、カヴァー6曲については『
名唱コレクション 前川清 愛を唄う』に収録され、ふたたび手軽に聴けるようになっている。