キャスト、音楽、
美術、ストーリー、どこをとっても最高のクオリティを誇っていて、是非手元に持っておきたい名作です!戦後の日本を舞台にして、無国籍な世界観を出すことで、原作とは一味違いつつ、なおかつしっくりとくる作品に仕上がっているかと思います。特典映像、ブックレット等も充実してそうで届くのが楽しみです!!
原作ファンにとって微妙らしい、エリオット・グールド演じるフィリップ・マーローですが…。
アルトマン好き、でも原作未読な私には、そんなウワサ(?)もなんのその、とても素敵なマーローでした。(少し、煙草吸いすぎですけど…。)
原作と大きくちがうラストや、マーローの親友テリーの人物像や配役についても、賛否両論あるようです。
しかしそれとは別に、そもそもサスペンスやミステリ(あるいはふつうのドラマ)の「作り方」からはずれたところがあり、それがこの映画の面白さでもありますが、アルトマン作品にあまりなじみの無い方には少々「つらい」(?)かもしれません…。
この映画には、できるだけ速やかに合理的にラストへ向かおう、という「気」はさらさらありません。
途中、いくつかの出来事がすべて「同じような比重」で語られ、「本筋」と「寄り道」の区別が希薄です。
はやく解決を、とばかり観ていると、「ええい、そんな話どうでもええんちゃうの?」(←なぜか、関西弁…)と、イライラしてくるとおもいます。
さて、そこでいったいどうすれば・・・?
目の前に差し出される、語られること、つまり…マーローの目に映ったことを、鑑賞者の私たちも同じように体験するつもりで観て行けば良いのではないでしょうか。
全編とおして、すべて主人公マーローの「目」で見た物語です。
そんな、原作どおりの「一人称語り」を、アルトマンは最大限利用してるのだと、私は思います。
親友がらみの事件でいきなり警察へしょっぴかれたり…。
親友のはずが、(他人の言葉から)自分の窺い知れぬ一面が浮かび上がってきたり…。
どう事件に絡むか釈然としないまま、エキセントリックなヤクザ(?)に凄まれたり…。
依頼を受け向かった精神病院は
スタッフ(医者や看護婦)や病院自体が「ヘン」だったり…。
などなど、マーローの「目」には、まわりで起こることすべて「???」の連続ですから、当然そこでは、「語り」も「描写」も決してスッキリ端的にとはいかず、少々奇怪にしていくぶん混沌としたものとなるのでしょう。
この映画には、時代に迎合できない男、マーローの見た70年代(…つまりアルトマン自身の「70年代への違和感」)が…滲むように美しい「光」と独特のカメラワークで…描かれています。どこか夢幻的な映像の物語世界が、けだるいムードのなかにユーモアやペーソスを交え、魅力的に繰り広げられているのです。
〜♪ジョン・ウィリアムズによるテーマソングが・・・ボーカル、ピアノの弾き語り、スウィング・
ジャズ、マーチ、レキントギター、ガット・ギターの演奏…と、いろいろにアレンジされ流れるのをバックに・・・真夜中三時にお腹の空いたきまぐれでキュートな
猫ちゃんに起こされたエリオット・グールドのフィリップ・マーローは・・・L.A.の夜の街、マリブの海岸沿いの豪邸、
メキシコの田舎の廃屋へと・・・ダラッとゆるめたネクタイに、くわえ煙草でブツブツつぶやきながら、さまよい続けるのでした。。。
レイモンド・チャンドラーは本書が初めて、村上春樹は初期のもの中心に文庫を30冊程度……の、女性読者。
ハードカバーで持っていながら、長いあいだ本書を放置していたのは、先にシェル・シルヴァスタイン『おおきな木』の村上訳に触れて、激怒したせい。
翻訳家としての村上氏には、疑問を感じていた。
読んでみて驚いたのは、レイモンド・チャンドラーという作家が思った以上に魅力的だったこと。
ストーリーうんぬんより、作家が「饒舌」であることが魅力的、チャンドラーの文章を読んでいるだけで、豊かな気持ちになる。
ストーリーの面白い小説は巷にあふれているけれど、文章そのものが美しく魅力的な小説は希有。
また、本書に、村上作品の源泉としか思えない表現が数多く含まれていることにも驚いた。特に個人的に大好きだった『ダンス・ダンス・ダンス』との類似に、懐かしさを感じつつ、一気に読了。
ただし、ハードボイルド小説を読んでいるような気分にはなれない。どうしたって「ハードボイルド・ワンダーランド」。けなしているのではなく、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は『ダンス・ダンス・ダンス』と並び、村上作品のなかで1、2を争うお気に入り。繊細な場面に関しては、村上訳は素晴らしいと思った。ハルキテイストのフィリップ・マーロウを堪能できるのだ、村上ファンには一粒で二度美味しい。
しかし。
動きのあるシーン(殴ったり、銃を使ったり……)になると、いきなり眠い。誰が何をして、どうなったのかが、サッ
パリわからない。
で、名訳と噂の清水俊二『長いお別れ』も入手、読み比べてみて愕然。清水訳が1時間半のアクション映画だとすると、村上訳は同じストーリーをスローモーションにした3時間映画のように間延びしている。清水訳は原文を省略しすぎている、その点、村上訳は完訳だ、とのことだが、私は断片しか比べていないので、ページ数の問題ではないと思う。
例えば、清水訳では、
「私は彼から眼をはなさなかった。それがいけなかった。私の横でなにかがちらっと動いたかと思うと、肩の先に鋭い痛みをおぼえた。」
とあるのが、村上訳になると、
「その男を余りに長く見過ぎていた。横の方で何かが動いたような気配があり、そのとたん肩先に鈍い痛みが走った。」
なので、次回読み返すのなら、きっと清水訳だが、男くさくとっつきにくいイメージのあったハードボイルド小説、その頂点と思われる傑作小説に「ハードボイルド・ワンダーランド」な繊細さが含まれていた、と知ることができたのは、個人的には、大きな収穫。