アレキサンダー像を神話的でありながら、極めて人間的な視点で描こうとしている。世間に何と言われようが、ありのままの真実を描こうというのがオリバー・ストーンらしい。アメリカでは、このアレキサンダーの『バイセクシュアル』的な言動を描いたことで、英雄伝説好きな人たちの反感を食らい不評のようですが、たしかに、「グラディエーター」「トロイ」のようなヒーロー映画を期待して観てみると、思いっ切り悩みに悩んでいる人間・
アレキサンダー大王に肩透かしを食うと思います。
200億円もかけただけあって、細部に渡ってこだわる衣装、ペルシャの都バビロンの豪華絢爛なセット。そして、世界中をロケしたという壮大な大自然の情景。特に、戦闘シーンでのダイナミックな空撮から臨場感あふれる手ブレ映像までを駆使した映像。肉片が飛び散り、血液が噴き出すリアルさ。編集の妙もあって、臨場感たっぷり。ほとんど「プラトーン」みたいな戦争映画に仕上がってる。このあたりもオリバー・ストーンらしい。大画面の劇場で観るべき映画です。
キャスティング的には、アレキサンダー演じるコリン・ファレルはやっぱりイメージじゃない。彼の母親(!)を演じるのが
アンジェリーナ・ジョリーですが、ほとんど時間経過を感じさせない外見。(苦笑) これも、オリンピアスという人物そのものが持つ『邪気』を体現する上では、逆に
アリ、なのかも。
アンソニー・ホプキンス自身の登場場面は少なかったですが、彼のナレーションが、作品全体に神話的な雰囲気を醸していたと思います。
世界史の勉強に飽きたとき、息抜きにどうぞ! 2度目には
英語音声・
英語字幕で観れば
英語の勉強にもなるよ。
(作品の内容に触れています)
16世紀、オスマントルコの
ギリシャ侵攻があった際、マケドニアの
アレクサンダー大王が復活したと巷間のうわさとなり、それと19世紀の
英国貴族誘拐事件の史実をふまえてアンゲロプロスはこのファンタジーを
つくり上げたそうです。
しかし、ファンタジーといっても本作の内容はやけに現実味を帯びた
部分もあり、類まれな空想のなかにのっぴきならぬリ
アリティを含ませて
います(全編が空想にもかかわらず)。
空想と現実感がないまぜになっているところがこの作品の魅力のひとつの
ような気がします。
長まわしのワンショット=ワンシーン、ロングショットの多用、曇天下の
撮影など、例によって変わるところはありません。
まず、冒頭近く、20世紀目前の大晦日いんちきくさい大王一味がいかにも
現実めいた脱獄を敢行したのち、いきなり古代マケドニアにタイムスリップ
したかのようなフォトジェニック、レンブラントの画のごとく明暗を強く
押し出してけぶる森の木立の拓けたまるい平土に一頭の白馬が繋がれて
遊んでいる。
やがて大王が馬に颯爽とまたがりエキゾティックな音曲がその夢のような
映像を盛り立てます。もやはうさん臭さはどこにもありません。
アレクサンダー大王、復活せり!
さて、大王が人質(農地の要求と恩赦を得るため)をつれて帰郷すると
そこはコミューンと呼ばれる共産村になっていました。
いわゆる私有財産は認められず、共有財産により貧富の差をなくそうとする
ものです。
そこで、
イタリア人アナーキストの一団も加わり、村は徐々に安定性を欠いて
行きます(彼らは王のカリスマ性の限界を見抜くのだが)。
やがて、大王はしだいに村人から刀狩りや食糧略奪などをはじめ、じぶんの
言うことをきかないやつは処刑します。専制政治のはじまりです。
結果、村人たちのうっぷんは水面下でだんだん蓄積されてゆきます。
ここらあたりは妙にリ
アリティが伴っています(その他、英国との交渉や裁判
など現実的な場面が何度もでてくる)。
ラスト近くの革命シーンのアイデアには度肝を抜かれますが、ここでは
思いっきり現実離れして、もはや寓話の世界です。映画的というより演劇的な
演出に圧倒されます。
史実のアレクサンダー大王もてんかん持ちだったらしく、それを持ち出すのも
芸が細かいです。
ところで、大王と同じ名のアレクサンダーという名の少年が登場します。
彼は向学心が強く、どうやらマザコンです。明らかに大王の少年時代を映しており、
次世代の英雄としての含みを持たせているように思われます。
これもどこか寓意的です。
ラストカットではもっと直截的に「英雄は生き続ける」と主張しているわけですが。