最近、TVでは見かけなくなった、小梅太夫だが、いまだにCDを出すなど、意外としぶとい印象がある(笑い) ちなみに本作は67年の暮にヒットしたザ フォーク クルセダーズの名曲「帰ってきたトッパライ」をカヴァーしたシングルである。自分はその原曲を聴いたことがあるので、小梅のヴァージョンはどんだけアレンジしてるのかなぁと思って聴いてみたが、確かに小梅らしいアレンジが施され悪くはなかったのだが、原曲を聴いたことがあったためか、少し不満があった。しかもこの値段でこの内容ではかなり不満で、せめて小梅日記を一曲だけでもいいから追加した方が良かったんではないかと思う。正直「どんだけぇ〜」と思って聴いてみたら「これだけ」のような感じだった。ただインパクトに関しては原曲の方があるかもしれないが、小梅ヴァージョンの方が笑いが取れるかもしれないので、曲名は知ってるんだけど、原曲は聴いたことがないというものにはお勧めは出来るかもしれない。確かに小梅らしいアレンジで、かなり面白いのだが・・・・内容的にはもうちょいだな。
あのフォーククルセイダースのメガヒット曲を
タイトルにして、問題作を撮り続けていた大島渚と創造社が最も脂がのっていた頃の作品ですが、はっきり言ってまったく映画史から消え去った作品で大島渚のフィルモグラフィーの中でも低い位置にあります。この映画も本来はR.レスターが撮った破天荒なビートルズ映画の線を狙ってレコード会社が大島渚に託したものでしょう。しかしそこは大島渚。アイドル映画どこ吹く風で自分のやりたいことをやり、しかもそれは余りにもストレートな朝鮮問題への問いかけ。「あなたは何人ですか?」と該当の人たちにインタビューする風を装いながら、出てくる人は『絞死刑』のRだったり最後には大島自身が回答したり。難解だなんてとんでもない! 大島は「日本人と朝鮮人を分けているものは服装だとかそういう外面的なものではない。そんなものは取り替え可能で全くナンセンスなのだ」「両者を分かつもの、それは『理屈では説明の付かない深い血のつながり』であり、そして血を流さなくなって久しい現代日本人にはその違いは分かろうはずがないのだ」と真っ向から語ります。そして消費を美徳とする当代の日本人にフォークルの3名を重ね合わせ、最後
列車の外に
ベトナムのむごい現実を書き割りで流して、あたかも『絞死刑』のラストでRに光り輝く「社会」というものを見せつけたのと同じように彼らに現実世界の光を浴びせて終わります(少々意地の悪い終幕です)。
沖縄をテーマにして多くのファンが期待を寄せていた『夏の妹』は、もはや大島組の方法論が通じないという無惨さを見せつけ、これを最後に創造社は解散しました。大島にしてからがカウンターカルチャーの前では乗り越えられるべき対象だったのです。そこに誠意を持って対応しようとした大島の生真面目さも十二分にうかがえます。『
新宿泥棒日記』とともに、期せずして熱き1968年という年をフィルムに焼き付けた一品です。
1990年5月発売のCDで、合唱隊という若き声楽集団のデビュー・アルバムです。CDラックの奥から引っ張り出して聴いています。廃盤は仕方がないのですが、選曲もアレンジも演奏も素晴らしいので、どこかで再発売されても売れると思います。現に中古市場では相当な価値があるのですから。
曲目を見てもらえればすぐに理解できますが、1960年代の和製ポップス、当時は歌謡曲と言っていましたが、そのジャンルの中から若者たちに支持されたヒット曲ばかりを合唱にアレンジしています。
グループサウンズも正統派のベルカントで聴きますと格調高くなります。勿論それがねらいですし、面白い試みは上手くいっています。途中、クラシック音楽の一節が挿入されるなどアレンジの妙も楽しめます。フォーレのレクイエムの冒頭部分からフォーククルセダーズの「帰って来たヨッパライ」につながる編曲は笑わせてもらいました。「亜麻色の髪の乙女」も当然ドビュッシーからスタートしています。
題名のない音楽会でユニークな役目を果たしている青島広志が全曲の編曲・指揮そしてピアノ(2曲)に関わっています。12人の編成のアンサンブル1960が伴奏を務めます。ピアノは、様々な演奏活動の場で活躍しているフェビアン・レザ・パネでした。
合唱隊は、ソプラノ、アルト、テノール、バス各パート2人ずつの編成です。若き声楽家集団といいましたが、ソプラノに澤畑恵美さんが参加していたのですね、これには驚きました。他のメンバーもその後クラシックを中心に様々な音楽ジャンルで活躍されています。当然、アンサンブルの力量は圧倒的な凄みをもって伝わってきます。豊かな声量と伸びやかな発声ですので、心地よいハーモニーとなってかえってきました。