五つの赤い風船~結成40周年コンサート~ROOTS MUSIC DVD COLLECTION Vol.18
40年前の解散コンサートが仙台電力ホールでやったとき見にいきました。女性ボーカル
は藤原秀子でしたが絶頂期で解散したのが残念でした。このDVDを見ると当時のことが
思いだします。(東北学院大学フォークソング愛好会在籍)現在63歳。
GOLDEN☆BEST/赤い鳥 翼をください~竹田の子守唄
赤い鳥の竹田の子守唄は、被差別部落のことを歌っているということで、しばらくの間、レコードから割愛されてきた音楽です。
しかし、この子守り唄を赤い鳥が選んだのには意味があったと私は思います。
差別というものは、この地球上から消えることはありません。
今だこの日本でも、多くの人々が差別により苦しんでいるということを忘れてはいけないと思います。
そういう、意味合いも含め、赤い鳥は強いてこの子守り唄を選び、カップリングしたのだと私は考えます。
唄の詩には深い内容のものがあり、差別することへの醜さを赤い鳥はこの歌で教えてくれているのだと私は考えます。
五つの赤い風船 フォーク・アルバム[第1集]
五つの赤い風船が歌った「遠い世界に」は、昭和40年代半ばの世相を抜きにしては語れません。
日本の高度成長と共に多くの影響力を世に与え続けてきた「団塊の世代」にとっては多分一番口ずさんだ歌だと思います。国民的フォークとでも言うべき名曲ですね。もっと言えば、当時の若者の「国歌」だったのかも知れません。
当時は、70年安保闘争のため、日本中の大学で学生運動が燃え盛り、バリケードストなどがありました。「遠い世界に」が大ヒットした時は、そんな時代背景を持っていました。
「遠い世界に」はとても親しみやすいメロディを持っています。1オクターブしか音域はないのですが、覚えやすく温かみのある歌詞、軽快なテンポ、簡単にハーモニーをつけられるコード進行と、ヒットする要素を一杯持っていました。当時各地で行なわれた様々な集会で若者達によく合唱されたものです。時代を映す鏡のような曲でもありました。
今は時代を反映するような曲は生まれなくなりましたね。個人的な関心に分散し、若者が何か大きなうねりというものを生み出すことも無くなりました。
多くの若者に愛された「遠い世界に」をもう一度しみじみと聴いてください。懐かしい思い出が本当に走馬灯のように蘇ってきます。
青春歌年鑑 1969 BEST30
カルメン・マキの「時には母のない子のように」からはじまって、ビリー・バンバンの「白いブランコ」や由紀さをりの「夜明けのスキャット」(そう「ルールールルルー、ルールールルルー...」というスキャットだけで1番が終わる歌)、和田アキ子の「どしゃぶりの雨」、奥村チヨの「恋の奴隷」(「アナタ好みの、アナタ好みの女になりたーいー」ていう唄)、など当時を想い出すステキなお歌がイーッパイ!
千賀かほるの「街のどこかにー淋しがり屋が1人、今にも泣きそうにギターをひいている。愛をなくしてー誰かを求めてー、さまよおー似た者どうしだもの...」で一世を風靡した「真夜中のギター」。整形した変身後のミコ、こと弘田美枝子の「人形の家」わたしはーハナタにーヒノチをはずけたー!
新谷のり子の「フランシーヌの場合」はあまりにもオバカさん、フランシーヌの場合はあまりにも哀しい、3月30日の日曜日パリの朝に燃えた命ひとつー、フランシーヌー...。それに、トワ・エ・モワの「ある日突然」ふたり黙るのー、あんなにお喋りしていたけれどー、いつかーそんなー時がー来るとーワタシには分かっていたのー...。その他、シューベルツの「風」とか、森山良子の「禁じられた恋」、青江美奈の「池袋の夜」、佐良直美の受賞曲「いいじゃないの幸せならば」、内山田弘とクールファイブの「長崎は今日も雨だった」も欠かせませんよネ。そして、今となってはレアもののナツカシさ、「明日という字は明るい日と書くのネー、アナタとワタシの明日も明るい日ネー」の歌詞でお馴染み、真理子の「悲しみは駆け足でやって来る」。さらにさらに、フォーリーブス、高田恭子、ヒデとロザンナ、ちあきなおみ、小川ローザ、etc.etc.といった面々が勢揃いして居りますゾ。
皆さん、この冬には此の音盤を聴いて、青春の日々を思いだしましょう!!
きっと買うんですヨ。お約束でしてよ。いいこと?