オデッサ―黒海に現れたコスモポリス (ユーラシア・ブックレット)
著者は嵐田浩吉さん。とても読み易くそんなに時間かからず読み終えることができました(オデッサとは黒海に面したウクライナの都市です)。
オデッサ建都はなんと1794年。アメリカ合州国の独立宣言(1776年)よりも時代が下った時です。
サンクトペテルブルクがロシアにとってのヨーロッパ、バルト海への「北の窓」とするなら、オデッサは南進政策をとっていたエカテリーナ2世らしくいわばヨーロッパ、黒海への「南の窓」として築かれたといえることでしょう。
それにしてもこの都市と関わった人物や輩出された人物の数には圧倒されました。驚きの他ありません。きっと読まれるときにはこれぞという名の人に出会うことでしょう。
嵐田さんの文章は分かりやすく、読書自体も楽しむことができるのではなかろうかと感じたものです。
しかしながら多少語句の扱いに関して引っかかる部分がありましたので書いておきます。
1.「オスマン・トルコ」という表現(初出7ページ)
現在での呼び方では、オスマン・トルコよりオスマン帝国の方が主流(オスマン帝国はトルコだけの枠組みでは説明しきれないため)
2.「こうした条件はオスマン・トルコの支配下で苦しんでいたキリスト教徒、ギリシア人やアルバニア人やブルガリア人等に魅力的に映った。」(同7ページ)
特に2.には疑問を抱かざるを得ないです。
オスマン帝国―イスラム世界の「柔らかい専制」に書かれているように、オスマン帝国は異教徒に対して寛容でした。
19世紀のナショナリズムの高まりと共に、オスマン帝国の支配を一種の「くびき」と見做す歴史解釈が出てきたわけで本書もそれに従ったものかもしれません。しかしながら賛同できるものではありません。
もともと、バルカン史を研究するにあたっては、柴 宜弘編集、『バルカン史』、山川出版、1998年のまえがきiiページにあるように、「大きな関門となるのは言語であろう。スラヴ諸語、ルーマニア語、アルバニア語、ギリシア語、現代ギリシア語、そしてオスマン語(トルコ語)を駆使する必要が生じるからである。」です。
難しいことであるとは理解しています。
それでも、オスマン帝国の支配を従来のイメージで扱うのは問題が生じ、なぜにしてオスマン帝国鎌倉時代末から、大正時代に至るまで存続し続け得たのか説明しきれないのではと感じました。
カラ・デニズ~黒海
全曲インスト。東欧のトラッドとかジプシー音楽に影響をうけたらしいフランス人たちの音楽。なんだかフランスのSFファンタジー映画にこんな音楽が使われてそう。ブラスとかアコーディオンとかよくわからない弦楽器が中心の音楽。センスの良さみたいなのはひしひしと感じさせる。でもジプシー音楽にある熱い情感、悲哀みたいな激しい感情はあまり感じさせず、逆に知性がまったりとただよっている。歌入りのわかりやすい曲も作ってほしい。
ボルネオスパ ガマットソープ 80gX2個セット 【なまこ石鹸】
思ったより洗浄力があるみたいで、とてもさっぱりします。
でもさわるとしっとりって感じです。
商品は、注文して2日できました。はやくてびっくりでした。