レイモンド・チャンドラーは本書が初めて、村上春樹は初期のもの中心に文庫を30冊程度……の、女性読者。
ハードカバーで持っていながら、長いあいだ本書を放置していたのは、先にシェル・シルヴァスタイン『おおきな木』の村上訳に触れて、激怒したせい。
翻訳家としての村上氏には、疑問を感じていた。
読んでみて驚いたのは、レイモンド・チャンドラーという作家が思った以上に魅力的だったこと。
ストーリーうんぬんより、作家が「饒舌」であることが魅力的、チャンドラーの文章を読んでいるだけで、豊かな気持ちになる。
ストーリーの面白い小説は巷にあふれているけれど、文章そのものが美しく魅力的な小説は希有。
また、本書に、村上作品の源泉としか思えない表現が数多く含まれていることにも驚いた。特に個人的に大好きだった『ダンス・ダンス・ダンス』との類似に、懐かしさを感じつつ、一気に読了。
ただし、ハードボイルド小説を読んでいるような気分にはなれない。どうしたって「ハードボイルド・ワンダーランド」。けなしているのではなく、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は『ダンス・ダンス・ダンス』と並び、村上作品のなかで1、2を争うお気に入り。繊細な場面に関しては、村上訳は素晴らしいと思った。ハルキテイストのフィリップ・マーロウを堪能できるのだ、村上ファンには一粒で二度美味しい。
しかし。
動きのあるシーン(殴ったり、銃を使ったり……)になると、いきなり眠い。誰が何をして、どうなったのかが、サッ
パリわからない。
で、名訳と噂の清水俊二『長いお別れ』も入手、読み比べてみて愕然。清水訳が1時間半のアクション映画だとすると、村上訳は同じストーリーをスローモーションにした3時間映画のように間延びしている。清水訳は原文を省略しすぎている、その点、村上訳は完訳だ、とのことだが、私は断片しか比べていないので、ページ数の問題ではないと思う。
例えば、清水訳では、
「私は彼から眼をはなさなかった。それがいけなかった。私の横でなにかがちらっと動いたかと思うと、肩の先に鋭い痛みをおぼえた。」
とあるのが、村上訳になると、
「その男を余りに長く見過ぎていた。横の方で何かが動いたような気配があり、そのとたん肩先に鈍い痛みが走った。」
なので、次回読み返すのなら、きっと清水訳だが、男くさくとっつきにくいイメージのあったハードボイルド小説、その頂点と思われる傑作小説に「ハードボイルド・ワンダーランド」な繊細さが含まれていた、と知ることができたのは、個人的には、大きな収穫。
優れた映画です。人々がいる。そこに諸々の群像劇があり、多くの物語がある。それら雑多の物語が交差するところにマーロウが居、監督の目線とカメラがある。その目線こそ全てで、善悪も教訓もない。目線を保つことがマーロウにとっても監督にとっても矜持でありプライドである。この作品自体とは関係ないのですが、この映画を見ていて、私は刑事コロンボのシリーズをハッと思い出しました。刑事コロンボも推理劇ではなく群像劇だから面白かったのだと。
ところで、マーロウの
猫はどこに行ってしまったのだろう?
チャンドラーの原作とストーリーも結末も異なるため、原作ファンには不満を持つ人も多いようだが、個人的には、この作品の世界の雰囲気こそが原作に忠実に思う。アルトマンらしく、登場人物たちも細かに描かれていて、非常に魅力的。ほぼ全シーンで煙草を燻らすエリオット・グールド演じるマーロウの格好良さ。スターリング・ヘイドンの酔っ払い演技も見物。そして、様々なアレンジで流れるジョン・ウィリアムズによるテーマソングも秀逸。