大人気の画家
フェルメールの真珠の耳飾りの少女の絵から作られた想像の物語ですが、すごくよくできています。
若い時なら、スカーレット・ヨハンソン演じるグリートの側から、画家に恋する女の物語として見たと思うのですが、
今では、
フェルメールというがんじがらめの画家の立場で、この映画を見てしまいます。
フェルメールは絵を描きたい。でも、お金がいる。高価なラピズラズリなど、画材を買わなくてはならない。
それで、資産家の娘と結婚。その母親のいうことも聞いている。
彼女は将来有望な画家と娘を結婚させて、名誉とか、絵が売れてお金が入ることを期待している。
娘は自分が
フェルメールに愛されている証が子供だと思って、どんどん妊娠して、産む。
それで、家は子供がいっぱいで、
フェルメールはアトリエが限られたスペースで、いつも同じ窓側から光があたる構図でしか、
絵を描けない。
もう、
フェルメールは、絵を描きたいがために妻と子供と妻の母親とこの家にがんじがらめにされている。彼らは芸術の永遠の価値はわからず、絵が評価されて
売れて有名になる価値しか、わからない俗物である。
だから、絵の永遠の美の価値をわかってくれるグリートは、この地獄のなかの、つかの間の癒し、である、
フェルメールにとって。
だけど、彼は最終的に絵を続けていくために、この家庭から逃れることはできない。
それほど、彼には絵しかなく、絵がすべてであり、その意味で、ほんとうに、孤独なのである。
それほど、すべてを犠牲にして絵に命と人生をささげたから、彼の絵はすごいし、魅力があるし、
それを理解して、別れた
フェルメールとグリートは、この物語の中のほかの誰にも理解されていないけど、崇高な恋の時間を生きたのだと思う。
そういうすばらしい、知的美的ときめきのせつない恋を、俳優たちも監督も撮影
スタッフも、素晴らしく映画に描いてくれていて、感動します。
小品だが、読み手に様々な視点を提供する作品である。
フェルメール作品のファンなら画家の人となりを想像する手助けになるだろう。10代後半の少女が
フェルメール家へ奉公に出されるという設定から、17世紀後半のデルフトの街路と社会へタイムトリップするつもりで読むのもいいし、年齢的な不安定さと賢さ、そして時には気の強さも表に出す主人公の数年間を見守るつもりでページを繰ることもできるだろう。著者シュバリエの人物設定とエピソードの盛り込み方、終局の文章には、将来的なセンスを感じさせるものがある。次作を楽しみに待ちたい。
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Now who does not recognise the painting of the girl on the book cover? But how many actually knew all along that there was a story behind her?
A most engaging story of the girl forced into domestic service, after her father was incapacitated. A flurry of emotions overcomes the reader, beholding how, instead of her learning scepticism and Cinderella-esque-ly suffering . . . her intelligence, innocence and perceptive kindness actually disrupt the "established perpetual chaos" that is the order in the household, where vanity, jealousy and the ugly human emotions reign--ironically what these people are most comfortable with.
The girl must have been a rarity, a genius, in an age where no female, whatever her family's social stature, was ever afforded an education. This part does require a stretch of the imagination, but once overcome, only serves to explain her capacity to withstand, and her effect on, the environment she was thrust into.
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1点の肖像画をスタート地点として、その時代と一人の少女の架空の物語が丁寧に構築されていると思う。
映画では、不幸な境遇にある少女にとって
フェルメールがどんな存在だったかはぼやけているので、映画だけ観た人も映画とは違った魅力を感じられるはず。
それから、謎多き画家と言われる
フェルメールについて分かっている事実はきちんとおさえられていて、
美術ファンも納得できる内容です。
ただ、翻訳が古風すぎ(少女の言い回しとか)?体言止めを多用した独特の訳文も妙にひっかかる。
この映画は本当に美しい。そして芸術性と娯楽性のさじ加減が絶妙で、監督の戦略家ぶりも垣間みえる。主役のグリート役を観客が受け入れるか否か、がこの作品の成否を分けたと思うが、ヨハンソンの欧米人の中でさえも際立つ白い肌は、それ自体がキャンバスのようだ。そこに微妙な感情が現れては消え、消えそうになってはとどまる。初めの30分ほどは背景の美しさに人間が負けはしないかはらはらしながら見ていたが、ほどなくそれは杞憂とわかる。この作品では人物造形もきわめて絵画的で、初めはデッサンのように淡く始まり、すこしずつ感情を積み重ねていく、という手法でその人物を描き出しているようだ。
そしてこの作品の最大の見所は全編を貫くエロスだ。そのエロスは物理的なものではなく、精神の緊張から生まれるもの。肌が触れ合うことよりも、魂が触れ合うことの方がずっとエロチックだということをこのように美しく見せた映画はそうないのではなかろうか。