おおくの本が最初からデジタルに話をしぼっているのに対して,この本はアナログ通信・変調からはじめている. アナログからはじめるなら,もうすこしデジタルと対比するとよいようにおもうが,淡々と書いてある. 交換方式についてもくわしく書いていて,パケット交換はもちろんだが,アナログとデジタルの回線交換がとりあげられている. そしてやっとインターネットが登場するので,そこまでのみちのりはながい. 一方で,おおくのネットワーク屋がこだわる OSI の話は付録になっている. やはりちょっとふるい感じは否めない.
若さゆえの苛立ちと、
歳を重ねていくままならない状況。
緒形拳さんの、経験豊かでフレキシブルな魅力は健在です。
岡田准一さんは、ひたむきさと繊細さの中に
本当の強さを追い求める視点が、ピリッと良い味を出しています。
一度触れると忘れられない
上質なドラマだと思いました。
タナダユキの映画には、人生を生きていく過程に於いて、痛い主人公たちが登場する。
今作もまた、重い現実を突き付けられ、傷つき苦悩している人々の物語だ。
妻の死を受け入れられず、無骨な性分ゆえその御霊に感謝の意を表することすら出来ない父。
不妊治療中に夫が不倫に走り、あろうことか相手との間に子供が出来てしまい、怒りよりも空疎な思いに駆られる娘。
ぽっかりと心に穴が空いたふたり、でも、生前の母から自分が死んで49日までの夫の面倒を見るように頼まれたと押しかけてきた少女の出現が、死んだような無為な心に化学反応を起こさせる。
自らもDVとセックス依存症として厚生施設に入った少女の提案で、ふたりは亡き母の四十九日を祝うことに奔走し始めるのだ。
厚生施設で働いていた母は、心に傷を負った子供たちを数多く励まし救ってきた人格者であった。
唐突に逝ってしまった彼女が家族に残したのは、死の恐怖や不安とは正反対の微笑ましくて楽しい「暮らしのレシピ」と名付けられたカード式の冊子。
その中に四十九日のレシピの項目があった。
“みんなで楽しく呑んで食べて大宴会”と記載されたそのカードの存在が、喪失感と虚無感を引きずる者たちに潤いを与え、“人生のレシピ”として、観る者も誘う。
娘は、母の生涯を振り返り書き留めるため、年表を用意する。
年齢毎に区切りされたそのマス目にその年ごとの思い出を書こうとするも、まったく埋めることが出来ず、途方に暮れる父。
そして結局、それは埋められることなく、四十九日当日まで持ち越されるが、、、。
何か特別なこと、劇的なこと、華やかなことがあるから人生は素晴らしいとは限らない。
“
コロッケパンの作り方”や“自転車の乗り方”を教えてもらう、何気ない出来事の積み重ねで人生はなっており、その中に喜びや幸せがある。
そんな市井の人々の、平凡だがかけがえのない人生の味わい深さ。
ラストに映し出された壁一杯に貼り出された年表に書き込まれた他愛ないエピソードの数々の言葉の裏に込められた思いの深さに胸が打たれる。
自分が死んだ時、果たしてこんな素敵な言葉の数々が年表に残せるか、B紙では書き切れない人々の記憶に刻まれる人生。
映画の本筋とは関係ないが、そんな思いが脳裏をよぎった。
娘は、子供のいない人生を儚み、憂う。
でも、母も自ら子供が出来なかった人生をどう受け止めていたのか、それが理解できたような気がする。
自明のことだが、人生は十人十色。
大切なのは、自分の置かれた立場で出来ることを楽しむこと、そして、美味しいものを食べて、呑んで、楽しく語らうこと。
娘の最後の決断は(その夫のあまりに無責任な言動も含めて)賛否分かれるだろうが、慎ましくも温かい映画である。