北野武ではなくビートたけしとしての全盛期。 マシンガントークの漫談は懐かしかったし、 今ではあまり見られないスタイルなので、ある意味 新鮮だった。
これはジャケ買いでした・・・こんなイメージでは無かったですね・・・ただ内容はまずまずでした。次から次へと主人公が女の子と やりまくる・・・悪くはなかったのですが、ちょいと絵が粗いかなと感じました。画像が粗いのではなく絵のクオリティという所が・・・
「あヽ、そう言えばそんなバラバラ殺人事件あったなぁ」と思いながら読み始めたが、詳細に事件が取材されており、展開もわかり易く、一気に読み終えてしまった。カオリンの事件に至るまでの経緯を生い立ちや、時代背景、夫からのDVなどを考察しながら読み進められる。事実は小説より奇なりというが、本当に、女性一人でこんなことまでしてしまうのかと思われた事件だが、次第にその要因が少しずつ著されてゆく。特に後半の裁判の傍聴取材によると思われる部分は被告人の姿や、言動などが事細かに書かれており非常に生々しい。そして、「もしかして無罪?」と思わせるような展開があったりして・・・。DVの本当の恐ろしさがわかったような気がした。たしかに、カオリンをはじめとして、最近の殺人事件の犯罪者の内省のなさには驚かされるものがあるが、彼らだけが特別なのだろうか。私たちの周りには(自分も含め)自分さえよければ、とか、自分だけは別、他人のことは関係ないというまちがった個人主義的な考え方が蔓延しているのではないだろうか。そういった意味からすると、決して遠い世界の話ではないような気がする。カオリンにはラスコーリニコフのような再生の道はなかったのだろうか?
このジャンルでこういうのをやるとは…。 うーん、当て付けられてるような気がする…。 あちこちにオタクワードが展開されていて、ニンマリするところだらけ…。 主人公がなんか羨ましいなあ…と思いつつも…やっぱいいや…。
ジグソーパズルは身近なものだが、大変優れた知的発明物と言える。ジグソーパズルには作者が決めた正しい並べ方が唯一つあり、根気強く取り組んだ人だけが完成できる。完成したときの美しさが正解に達したことを知らせるのだ。
この本によれば、百人一首には一首あたり平均して8.4語の共通語がある。共通語を持つ歌で上下左右を並べて行くと、ついには百首が10行10列の大きな一枚の美しい歌織物になるのである。
ジグソーパズルがピースの物理的な形状によって配置が決まるのに対し、百人一首では、共通語という論理的な結びつきによって配列が決まる。このアイデアを実現した作品は「驚異の歌織物」と言う他は無く、ジグソーパズルをはるかに超えている。したがって百人一首は、世界に誇ることが出来る日本文化の一つの頂点だと言うことが分かる。
さらに、完成した歌織物の構成も見事なものだ。たとえば和歌のテーマである「花鳥風月」のうち、「風」と「月」の歌がT字形の枠組みを作る。こうして完成図面は大きく二つの部分に分けられている。
まず右側の部分では、「花鳥」に相当する自然物が山紫水明の美しい風景画を作り出す。新古今和歌集の古里である水無瀬の里の全景だそうだ。
次に左側の部分には「情念の歌」が配置されている。この情念の歌の中には、藤原定家がこの歌織物を作った動機や秘密にしなければならなかった理由が隠されている。
最後の点として、筆者は他の研究者の仕事からヒントを得たことを謙虚に述べている。この誠実な態度も本の価値を高めている。国際化時代に必見の書!
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