今の
ハリウッドは軍産複合・諜報国家たるアメリカの情報(諜報)戦略の完全なコマに使われているということは、鋭い感性を持った人ならだいたいわかるだろう。
そんな場所で、この俊英監督のスチーブン・ソダーバーグはCIA(米中央情報局)がかつてもっと敵対視して実際に抹殺に手を染めたと言われる中南米を股にかけた革命家チェ・
ゲバラを主人公にあれだけ優れた映画を作ったりしてしまったのだから、それはこの国家の監視下に置かれるのは無理からぬことだ。
ソダーバーグはその次の映画の撮影中に突如、セクハラ事件に巻き込まれる。最初はこちらも引っかかって鵜呑みにしていたのだが、よくよく考えるとこの手のスキャンダルは諜報組織がよく使う手だ。ソダーバーグはさらに次の作品では巨大産業のステマに堕したとも見える映画を撮り出した。早すぎる宗旨替えは何やら司法取引で諜報国家の注文通りの映画を作る作家に変節したことを伺わせた。
巨額賠償の重圧を背景にした圧倒的な脅しの力で、米国は司法取引という手を使ってこの諜報国家の言いなりにさせることを、これまで幾多のベンチャー会社などに対して散々、行って来ている。
だからG社やF社などはCIAと同じことをやっている組織なのだと小子は解釈しているのだ(いや小子だけではなく、日本の上場企業トップでもそう考えている人が少なからずいることをお知らせしておく)。
そんなソダーバーグはもうこういう
ハリウッドに嫌気がさしたのだろう。まだ若いというのに自ら引退表明をしたそうだ。
本作が恐らく、ソダーバーグが作った最後の作品ということになるだろう(でもないね。このあと3本も作っている。でもそれで打ち止めのよう)。
それがこの諜報活劇映画である。何やら意味深ではないか。
本作では極めてリアルでかつ真面目な諜報活劇が展開されている。
なかなかよくできた映画である。それは漫画になっていないからだ。
引退を表明したソダーバーグの心情は、本作でもって何となく理解できた気がした。
DVDを持っているが,Blu-rayのハイビジョン画質とDTS-HDマスター・オーディオに惚れ込んで購入した。ディスク一枚に本編と映像特典が収まっているのも好印象だ。この作品を切っ掛けに,ワーナーのBlu-rayがDTS-HDを積極的に採用するようになった。唯一の苦言は,日本語吹替音声が収録されていない事だろうか。
エクスナーの分厚く大判のテキストでエクスナー法を学ぶのは、つらい。ワークブックもやはり大判で持ち歩けない。エクスナー法学習の難点は実はこんなところにあったのかもしれない。そういう意味で、
コンパクトにエッセンスをまとめ、練習問題までついて、かつ、コラムというか囲みで重要なポイントを適度にまとめつつ先に進めるこの本はとても良いと思う。しかし、ところどころに訳が直訳過ぎていまひとつわかりにくいところがあるのが難点か。
原題の『In The Bleak Midwinter』は「寒々とした真冬に」の意で、讃美歌のひとつである。『ハムレット』を見た後で見ると、無類に面白い作品。イギリスのように子供の頃から
シェイクスピア劇に親しんでいる人々は泣き笑いしながら見ただろう。趣向はバックステージ(舞台裏)ものだが、とにかく演劇が好きだという作者たちのメッセージが明瞭である。
売れない役者ジョー(マイケル・マロニー)はクリスマス・イヴに『ハムレット』を上演しようと一大決心をする。役者募集に応じて個性的な、奇妙な人々が集まる。オンボロ教会に泊まり込んで短縮版『ハムレット』の幕開きに向って二週間の練習が始まる。成功するのだろうか。
脚本・監督のケネス・ブラナーの思い出は、15歳でこの劇を見て人生が変わったんだというジョーの言葉にある。子供の観客が大切だというのも、ブラナーの信条だろう。『ハムレット』は人の心をうつ芝居なのだという確信が感動的だ。