監督はインタビューで、「犯人探し」を撮りたかったのではなく、どんな環境で殺人が起きたのかを描きたかったのだと言っています。
アガサ・クリスティーの原作を元にしてはいますが、推理サスペンスとは違います。犯人などもすぐに察しがつきます。
当時の、だんだんと時代に取り残されつつあった貴族社会の有様を描いた映画です。彼らにとってはよりいい、体裁のとれた暮らしを求めることが最重要事であり、殺人すら、結局はそんな日常の1コマでしかないのだという印象を受けました。
そして、何より特筆すべきは、召使たちの視点でストーリーが描かれていること。これまで、映画やドラマでイギリス貴族ものはいろいろ見ましたが、これは初めて見たタイプでした。仕事上の決まり事など、当時の生き!!証人を
スタッフに招いて再現しているので、リアルです。殺人よりずっと興味をそそられますし、面白いです。
イギリス貴族屋敷の住人の隅々を、タイムトラベルして覗き見する気分。お好きな方はどうぞ。
アカデミー賞脚本賞を受賞した、「脚本」です。
映画のよさは、ひとつは優れた脚本にあると思います。
この映画にはさまざまな階級の人々が出てくるので、言葉や言い回しの違い、ユーモアが沢山。それを知れるということは興味深い。
イギリス
英語独特の表現も気になるところだ。
映画と合わせて読めば、理解が深まると共に、科白の深みが増す。
ロバート・アルトマン最後のヒット作。1932年時点での英国貴族階級の風俗習慣を「観察」した作品。俳優陣がやたら豪華で時代考証が厳密でミステリー自体は(わざと)大したことはない、というのが特徴。
「英国貴族」ってのはいまや
ハリウッドへの輸出品のようですね。お時間があったら脚本家コメンタリーを聞いてみて下さい。彼自身、貴族階級の人らしい。えんえん貴族の悪口を言っています。貴族がいかに見栄っ張りで偽善的で傲慢で怠け者で金の心配ばかりしている集団か、それに比べて労働者階級の人々がいかに「現代」や「未来」と繋がっていたか等々。途中で肩をポンポンとして「もういいから…」とやりたくなります。
英国の貴族階級は19世紀末から衰退し出し、1930年代というとほとんど断末魔だったはず。第二次大戦後には相続税で息の根を止められて。そういう段階にある階級をことさら叩いて自己主張のネタにすることもないんじゃないの、と思うんですが、何がそんなに憎いんでしょう、この現代に生きるお貴族の脚本家さんは。しかも貴族生活の時代考証としてナンシー・ミットフォードの『Noblesse Oblige』を出してきてるあたりが怪しい。あの本はナンシー・ミットフォードが「貴族階級とは」ってテーマであくまで悪ふざけで書いて、売れたので本人が腰抜かしたって本のはず。貴族は茶を飲むのにミルクを先に入れるとか後に入れるとか、ナンシー・ミットフォードの冗談のはずだけど、この映画では大真面目に「貴族の習慣」として紹介されている。うーむ。ちなみにこの脚本家さんがアイン・ランドの影響を受けているらしいこともコメンタリーから知りました。
現代は輝かしい民主主義社会なので「貴族」は叩かなくてはいけない、しかし裏には大衆の根強い憧れもある、という構図が見え見えの、ある意味いやらしい映画。アイヴォー・ノヴェロの懐メロの数々が素晴らしかったです。