顔がソフビというのがとても気に入ってます
今回は水色でまとめたかったんので
前髪のピンクを抜きましたが はげませんでした。
植毛ドールって前髪が切りすぎると浮いちゃうので
スプレーや
ワックスをいままでつけていましたが
もともと癖がついていたのでその必要はなく、よかったです
ただ頭のバンドのあとが少し残ってます
お湯パーマですこしよくなりました
もう何回かリピートしたいと思っています(^-^)
著者はノンフィクション文学の世界に忽然と登場した超新星だ。
前作『空白の5マイル』、最新作『アグルーカの行方』に挟まれた第2作。わたしは、著者の作品の中でこの作品がもっとも好きだ。
他の2作は、ともに著者自身で計画の骨格を作り、明確な目的意識を持って旅に臨んでいるが、この作品は、そもそもの計画からして著者が立てたのではない。著者は人が立てた計画に、ひょんな縁から参加することになっていくのだ。おまけに
雪男の捜索である。ヒマラヤの
雪男は、学術的なアプローチもされてはいるが、本書で著者も語っているように
ネッシーやUFOにも通じる怪しさを持った存在だ。この捜索隊に接近していくとき、著者は躊躇する。これが著者が目指す探検になるのかどうか自信が持てないからだ。それでも著者は参加する。そして、結末を述べてしまうのは申し訳ないが、捜索隊は
雪男には出会えなかった。
ここで物語は終わらない。著者は、その後にこれまで
雪男に魅せられてきた人々を追跡する。中にはその過程で遭難し、命を落としてしまった人もいる。著者は遺族にも会っていき、その人物像をつかもうとする。そこまで著者を走らせたのは、
雪男という際物的な存在になぜ惹かれていったのかを知りたいためだ。そうして、
雪男にのめり込だ人々にある共通の体験があることを発見する。それは目撃だ。それぞれの人は、それぞれに目撃した。それはおうおうにして、それぞれの人物が待ち構えいて
雪男に出会ったのではない。本当に偶然に“らしきもの”を目撃してしまったのだ。
こうした目撃者を執拗に追ったのは、著者自身の疑問からのように思った。その疑問は、
雪男が実在するか否かというところではないところに興味をかき立てられた。著者は、今後も
雪男を捜索しようなどという気持ちはまったく起こさない。そのことについては一歩も二歩も引いている。著者にとっての疑問は、「探検とは何か」ではないかと思った。未知を解き明かすために命を落とすかもしれないリスクを超えて冒険的な行為を行なう。これが探検だ。しかし、その未知が
雪男のようにオカルト的な怪しさの中にあるものだったらどうだろう。もしかすると世紀の大発見になるかもしれない。もしかする捜索行為はとんでもなく馬鹿げたものとわらわれるかもしれない。もしかすると、こうしたスレスレの位置でしか現代の探検は成立しないのかもしれない。そんな疑問を終始著者は持ち、その世界に身を投じるか否かに心を揺らす。取材されている人物たちも同じように心を揺らせている。その揺れこそが普遍性を持つ本書の本質だと思う。本書は、探検記というより探検を素材にした、人間性を問う文学なのだと思う。
人が描く夢だとか、人生の目標といったものは、
雪男のように怪しくて頼りないことがままある。それでも夢や目標が描けない人生より怪しい夢を持ち続ける人生のほうがよい、と思う。本書が問いかけるのは、さらにその先。願っても願っても、実現のために緻密に計画し営々と努力をしても自力では到達できないことがある、ということだ。非常にわかりにくい
タイトルだが、わたしは、「
雪男はこちらから会いにいってもあえない『
雪男は向こうからやって来た』、やって来るものなのだ」と解釈した。自力ということとともに、この世界には他力という別の力があり、その力学から人は逃れることができない。ということを教えられた。
著者はデビュー以来、ノンフィクション作家と探検家を肩書き併記している。わたしは探検家の看板はおろした方がよいのではないかと思う。決して著者の行為や目標を批判するのではない。探検の世界を愛する本好きの老婆心と思っていただきたい。探検家という肩書きは著者を苦しめてしまいそうに思う。デビュー作『空白の5マイル』は、まさに地図上の空白地帯を踏査する探検の王道として成立した。しかし3作目の『アグルーカの行方』は探検史に触発された冒険記として成立している。探検記では決してない。それほど探検を現代に成立させるのは難しいのだ。それを承知して敢えて探検家を表明しているのだろうし、今はまだ極限まで自然環境の厳しい地に行きたいという根源的な欲求が先に立っているのかもしれないが、これだけの筆力を持つ著者には、探検家という足かせをはずして、もっと自由に書いてほしい。
雪男。そんなものいるわけない,と思っていた。ネス湖の
ネッシーと同じタイプのうわさだろうと。
しかし,この本によれば日本の複数の有名な登山家が
雪男らしいものを見たという。だが,それは一般にイメージされる
雪男とは違うようなのだ。その話を読んでいると,だんだん「これは本当ではないか」と思えてくる。
真偽を確かめるべく,著者を含む
雪男捜索隊はヒマラヤへと向かう。まともな登山家が
雪男の探索を大真面目にしている。
雪男にはそれほど人を引きつける魅力があるのだろう。誰かが言っていた,「意味のないことに情熱を燃やせるのが男なのだ」と。
そして著者はひとりで
雪男探索を行う。果たして,
雪男の存在は証明されるのか?答えは本書にある。前作もそうだったが,この人の文章はすっきりしていて読みやすい。さすがに朝日新聞に記者として5年勤めただけのことはある。全体的な面白さでは前作のほうが上である。しかし,この本も楽しめた。夢とロマンを求める人に。