著者の愛読者なら、著者が教育全般に関して熱心(元々、教師志望)で、国語を初めとする教育問題に対する著作が多く、また、パステーシュの名手である事は御存知だろう。本作は恋愛小説の味を加味した上で、「日本語」の問題を小説の中で検討したもの。主人公を(著者と同じく作家ではなく)コピーライターに設定しているのは、「言葉」の意味や用法が時代と共に変り得るという立場を"やや強く"主張しているからであろう。もっとも、保守的な立場を取る学者等を登場させて、バランスを取ってはいるのだが。
扱われる「日本語」(あるいは言語一般)の問題は幅広い。著者が以前にも扱った表記法の問題や、言葉狩りの問題から、果てはチョムスキーの生成文法の話にまで拡がるのだから著者の熱心さには恐れ入る。恋愛小説味を入れる必然性を途中までは感じなかったのだが、怒涛のラストには必要だったのかなぁ~。このラストは筒井の作風を想起させるが、そう言えば、作品全体が筒井風の印象を受ける。
エッセイではなく、小説の中で自然と「日本語」の問題を扱った面白い狙いの書。上述した通り、見解のバランスを取っているのは、作家としての日頃の煩悶をそのまま映し出したものなのだろうか。
冒頭で著者自身が断っている通り、一冊の文庫本で「日本文学史」を語るというのは無茶な話なのだが、その無茶を敢行し、結果として、読む者に満足感を与えてくれるのが著者の力量(勉強量)・持ち味だと今回改めて感じた。読んでいて、非常に楽しめた。著者は現代に至る"流れ"を重視して、本書を纏めているのである。「
古事記」の紹介・解説から始まるのだが、「
古事記」のある種の雑多性が「日本文学」の多様性の原点となっている事、「
源氏物語」、「枕草子」が如何にエポックメイキングであって、その本質が現代の小説・エッセイへと受け継がれている事、「
平家物語」が「能」の宝庫であり、「
太平記」が「歌舞伎」の宝庫である事、西鶴が初めて大衆文学を産んだ事等、各時代の中で転換点となる作家・作品を巧みに取り上げている。
私が特に面白いと感じた著者の指摘は以下である。
・「枕草子」を(無意識に)模範とした女性が書くエッセイは"自慢"となり、「徒然草」を(無意識に)模範とした男性が書くエッセイは"説教"となる。
・現代の恋人が交わすメールは、平安朝貴族が交わした贈答歌に似ている(逢瀬を終えて、別れたばかりなのに、「今晩は楽しかったね」等のやり取りをする)。
つまり、文学を含めた日本人の性向が古代から脈々と受け継がれている事を活写しているのである。勿論、作家・作品の取捨選択(及びその評価)に関しては作者の独断に依る所も大きい(これによって著者の好みも分かる)のだが、一冊の文庫本で書くのだから当然と言えるし、大方の人が見て妥当な取捨選択となっていると思う。古代・平安朝の作品が現代にも活きていると思うと楽しいじゃありませんか。そんな事を感じさせてくれる快作だと思う。