完本 美空ひばり (ちくま文庫)
母が高齢になり、めっきり衰えてきた。喜ばせようと思って、美空ひばりのDVDを買ってきて、私が虜になった。ひばりの歌には、魂を揺さぶる何かがある。
母の世代にはひばりのファンが多いが、私たちの世代の多くは、ひばりを古いものだと考えてきた。じっくり聴くことはなかった。
竹中氏は、ひばり母子、父、彼らを取り巻くいろんな人々と親しく付き合い、時には大喧嘩をして絶縁しながらも、ひばりの芸に心酔して、書き続けた人である。
これらが、すべて客観的な事実であるかはわからないが、ひばりについての、極めて優れた本であると思う。
竹中氏が心を込めて書いている文章を引用する。世界的な名声をもっていた歌手ベラフォンテが来日し、竹中氏が仲介してひばりと会ったときのことである。
「とっておきの隠し芸、このうたはね父から習ったの」、酔ってみだれず口演したのは三門博『歌入り観音経』、伴奏なしで朗々と切々と、...遠くチラチラ灯りがみえる、あれは言問こちらといえば...
ゴウッと音を立てて、胸の中を川風が吹きぬけた。私は震えた、それはもう凄いというより他に表現のしようもない、天来の調べであった。ベラフォンテほどのうたい手が圧倒されて声もなく、涙ぐんで聞き呆けていた。「あなたも何か?」とうながされると、首をふってこう言った。「今夜はうたえません、この唄を聴いたあとでは」。それは世辞ではなかった。レパートリーに組んでいた日本の歌を、『さくらさくら』のオープニング以外すべてやめたいと、ベラフォンテは同席したプロモーターに申し出たのだ。
「彼女の民謡を聴いたので、私はニッポンの聴衆の前でこの国の歌をうたうことがとても恥ずかしくなった」と。
歌手生活35周年記念リサイタル 美空ひばり武道館ライブ〈総集編〉 [DVD]
全盛期のひばりの凄さを見せつけられます。
歌唱はもちろんソウルフルであり、名曲揃い。
特に、危篤の母・喜美枝に届けとばかりに歌い上げる
「芸道一代」は鳥肌が立つような歌い振りです。
区切りに入るトークでの軽口も軽妙です。
思えば、不死鳥ライブなどでは、活動を休止
していた申し訳なさや身体の衰えからか、
このような明るい姿はなかったように思います。
私の知る限り最も素晴らしいステージです。
LD(2枚組)の頃から何度も見ているのですが、
DVDなら1枚で全編見られるのがいいですね。
“35歳”の美空ひばり、脂が乗りきっています。
不死鳥/美空ひばりin TOKYO DO [VHS]
今までで1度だけ美空ひばりのコンサートにいったことがありましたが、そのときの感動がよみがえりました。
もう生のコンサートに行くことはできませんが、ビデオでまた会えることができました。
美空ひばりが亡くなって今年17回忌を迎えます。
昭和24年、12歳の時に「悲しき口笛」をヒットさせて以来、「天才少女歌手」「昭和の歌姫」という称号そのままの日本の歌謡シーンをずっと走ってきました。
このDVD収録時、皆さんもご存知のように、医者も「無理だ」といった体調の中で、2時間以上40曲あまりを歌い通しました。気力だけで歌っているのは映像から伝わってきますが、その流れでる歌声は、そのような体調不良をどこかに忘れさせるほど素晴らしいものとなっています。
残念ながら、全盛期のような声量はありません。立っているのもやっと、という状態ですので、歌へ全力投球できない歯がゆさもあったことでしょう。その直向な歌唱姿勢が、多くのファンに哀愁を感じさせ、等身大の身近な歌手として、共感を呼んだステージだったと思います。
戦後の混乱期を経て、日本人がどん底の生活から這いあがる心の拠り所に美空ひばりの歌があったことは間違いないと思っています。女性初の国民栄誉賞が彼女の死後与えられたことは、その功績にあったことでしょう。大衆の圧倒的な支持がなければ半世紀に渡る大歌手の地位は確保できないと思います。
激動の戦後昭和史と共に、復興の日本のさきがけとなって駆け足で走りぬけた人生でしたね。孤高の歌手として淋しい気持ちがお酒に向けられたのでしょうね。52歳という早すぎる人生でした。
「『不死鳥』でありたい」という歌に対する思いは、今もファンの心の中に焼き付いていますし、このDVDの中に生き続けています。この貴重な伝説の東京ドーム公演を、若い世代に是非見てもらいたいものです。