墨東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫)
学生の頃、池袋文芸座地下で新藤兼人監督「泥の河」の
上映待ち時間に文庫本を開いていた記憶があります。
ただ、その時は、物語を追っていたせいか、印象も
深くありませんでした。
30年を経て再読して、引き込まれました。
ともかく凄いです、このデッサン力は。
市井の情景、そこに暮らす人の呼吸まで
そのまま感じ取れます。すっかり掴まれした。
墨東綺譚 [DVD]
遊郭に
「世の中の真実がある」というスタンスで映画が進行しますが
「遊郭に身を落とした人間は結局は幸せになれない」という結末を持ってくるあたり、見ていて少し辛い。ここを最初と最後に出てくるストーリーテラー役の「作家」にうまく語らせているところはうまい。
この映画のよさは、そんなところではなく、何気ないせりふが、かなり粋だったり、男と女、はいつでもどこでもそんなに変わらないということを語っている点です。
山本富士子さんの、引っ付くくらいの、男にまとわりつく愛情の表現はすごく良い。それが一番の見所です。あれくらい素直な愛情表現ができるといいねえ。
日本人の戦争―作家の日記を読む
太平洋戦争が始まった1941年から敗戦後、連合国による占領の最初の1年が終わる1946年までの間の5年間にわたって日本の作家(または将来作家になった方)がつけていた日記を抜粋、そこから当時の世相、そして敗戦後のそれぞれの立場や情勢による違いを浮き彫りにしようとした本です。
日記そのものは発表するつもりであったものがほとんど無かったものばかりであるので、その点も考えると非常に感慨深いものだと思います。日記文学と呼ばれる分野にも確かに興味ありますが、同じような面白さがありました。より生々しいその日を振り返る、しかもおのれに宛てた記録という日記に絞ったことで、感情的でもあり、心情にダイレクトで近いものでもある、と思います。
やはり時系列を追って紹介されているのですが、開戦当時から冷静という印象を感じられた永井荷風は、それなりに老大家として実績もあり、お金にも困っていなかった部分も大きいという情報は知って良かったです。これが即お金に困っていたら態度や冷静さは違っていたか?と問われるとそこまで分からないのです。永井荷風のある意味軍部のマッチョさを「小馬鹿」(馬鹿にするのではなく小馬鹿)にした、愚直というやりすぎを笑える余裕を感じさせます。その辺に金井美恵子さんにも通じるものがあると思うのです。真剣にならざるを得ない日常であり熱さを感じさせる毎日であったであろうことを理解しつつ、それでも融通の利かないことに賛美のみを与えることへのブラックな笑いがあると思うのです。
意外だったのは山田 風太郎さんの日記からの抜粋が過激でそして熱い。また迷いというものがなく、ブレなんて敗戦後にも起こっていない。かなり意外な展開でした。当然それだけではないのが山田さん、以下抜粋になりますが、この敗戦後の告白が(当然この時点での日記の公開などまるで考えていない、ただ自分への決意のようなものであると思います)私には山田さんをそれ以外の作家の日記とも全く違う面を認めます。
P189より
「一体、神州とは何であるか。自分の祖国に誇りを持つのはいい。また持つべきであり、その感情を鼓舞するための詩語としては適当かもしれないが、むやみやたらに神州不滅を叫んで総ての運命をこの一言に結びつけ、それで平然としていたのはどうだろう。
中略
僕は民主主義というものはどんなものか知らない。共産主義とはいかなるものか、それも僕達日本人は教えられていないのだ。悪い悪いと頭ごなしに教えこまれるだけで、なぜ悪いのか、その理屈は一切わからないのだ。ほんとうに悪いかも知れない。しかし、なぜ悪いのか、それを一応疑ってみることは許されないだろうか。疑うのが人間として、当然ではあるまいか。
中略
僕は天皇陛下は敬愛する。しかしその敬愛を商売にしているやつはきらいだ。また正直にいって、僕は天皇がなくなっても精神的には死なない。日本人の大部分が死なないだろうと思う。ほかに生きてゆく愉しみはいっぱいあるからだ。」
なかなか言えないですし、この熱い時期中での冷静さが表れていて、それが「同日同刻」に繋がったのかな?と思いました。
また、渡辺一夫という人物もかなり気になる感覚の持ち主でして、これも是非読んで見たくなる日記からの抜粋でした。かなり頭の良い方の文章だと認識しました。エッセイも書かれているようで気になります。
そして、変わっていいるという点においては1番だと思うのがやはり内田 百'關謳カです。この方のスタンスこそ、お金に困っていた永井荷風が取るべき姿勢であったと思います。1番関係ないようでいて、もっとも覚悟が必要で、そのうえでの遊び心なのだと、個人的には思います。やはりセンスある方です。
開戦から敗戦の流れが気になる方にオススメ致します。
摘録 断腸亭日乗〈下〉 (岩波文庫)
永井の大正6年(1917年)から昭和34年(1958年)までの日記です。最初の頃は恐らく、誰にも見せるつもりは無く書かれているように感じました。後半は誰かに読まれる可能性を感じつつ(軍部による調査を気にしていたようです)、朱を入れていたのですが、ある事からその行動を恥じ、感じたことを(軍部批判であったとしても)そのまま、後に読まれることも想定しつつ書き綴っています。正直、頑固ともいえますし、柔軟性に欠ける部分ももちろんあります、そして少し一方的に過ぎるきらいはあるにせよ、芯の通った人の姿とも言えます。
人嫌いかのような荷風の、それでも交友関係の中でもやはり重きを置くのは先輩の森鴎外であり、後輩の谷崎潤一郎や堀口大學なんですが、その鴎外先生が亡くなられるのが大正11年ですから、この日記が始まって僅か6年、しかし非常に尊敬していたことが窺えます。以来、年に1度くらいの頻度で墓参りをしていますし、空襲の後に移された三鷹まで花を手向けに来ていたりします。
かなり病弱な人であったらしく、病臥していることも多く、そしてやはり銀座のカッフェーにも毎日のように出向いています。独身貴族のように振る舞いながら、しかし何処か女を求めることにひどく執着もし、遺産を分け与えるなら、死水を取らすならこの女だ、と感じて興信所に調べさせたりするところも、独善的で都合の良い解釈も多いのですが、しかし余計にドライなだけでない部分を垣間見せてくれて面白いです。
女性関係も、かなり事細かにその関係を吐露してくれていますし、特にお歌という女性にはかなり入れ込んだ挙句、病気になって余命1年と宣告され、しかしそれでも何とか関係を持ち続けたいという非常に情に流されている荷風を垣間見ることが出来ます。やれ女が家庭にいるのは文学の邪魔だ、とは言いつつ肉体関係にだけは40を越えても止められないものである、なんてことをしれっと告白されるとなんだか考えさせられます。しかし結局そのお歌にも関係を切られて非常に女々しく落ち込んでいるところも、同じように書き込まれています。
また、蛇蝎の如く嫌いな菊池寛の逸話が非常に面白く、さすが文藝春秋社をつくり直木賞や芥川賞をニッパチと呼ばれる景気の悪くなる時期のテコ入れ目当てで文学賞を設立した、と思わせる、ある意味大衆迎合的な上手さを理解させてくれます。銀座のカッフェー『タイガ』での、女給の人気投票にその店のビール瓶を1票にしたコンテストでは自分の贔屓の女給を勝たせるためにビール瓶105本を買い与えて持っていく話しなど、たしかに、という話しです。もちろんかなり感情的になっているようにも見えますけれど。しかし今も昔も同じようなことで男は金使ってるんですね。
嫌いな物の多い人ですね、年賀状ひとつとっても意味が無かったり誇大であるものには容赦ない批判が浴びせられます。また、お墓に花を手向けるにも、そこに肩書きや氏名が入っていたりすると売名行為のように感じ取って不快感を示したり、漱石の妻が漱石が妻にだけ残した話しを文章で発表しては、不貞だと嘆きます。荷風にとって世界は不条理で、その場しのぎで、野暮に見えていたのであろうと思います。日本人、というものを全然信用出来なかった、その荷風の印象は、私にも分かる様な気がします。
満州事変から太平洋戦争に至り、その末期の東京大空襲によって住処である『偏奇館』を焼き出され、蔵書すべてを失い、住むべき場所を失くし、数少ない友人である永井夫妻を頼り、中野、そして西日本の明石、最後は岡山にまでたどり着くその様が描かれる部分は急に文章が長く、そして生き物の様に動き回り、あの荷風の文体であって尚且つ臨場感を沸き立たせるのが素晴らしいです。焼け出されてから敗戦の報を知るまでの部分の日記は繊細であり、またあの荷風が心細く過程を描き出したものであり、そして被災するというルポタージュでもあって読ませます。苦労に苦労を重ねて何とか岡山まで逃げるまでの永井夫婦との、着の身着のままで放り出された心情を映し出しています。また、だからこそ、岡山で出会う谷崎夫妻に今までに無く暖かい目を向けています。よほど心細かったのではないか、と。
その後よくしてくれた友人とのトラブルから絶縁に到るまでの導火線の短さも、また荷風の特徴なのかもしれません。そして荷風は何かにつけ自分を律する道徳やら理性やら教養のレベルをどうも相手にまで押し付けようとしているように感じました。それでは皆に煙たがわれたでしょうね・・・
時に時事評のごとく添えられる目は、非常に冷静ですし、全てにおいて簡潔です。荷風にとっての事象についての感想は、言葉は少ないものの、簡潔にして人柄まで滲ませ、非常に面白いです。また、それにも増して日々の荷風の周りで起こる日常的出来事への感想が読ませます。軍部に対しての冷静な批判の的確さと、近所の知的障害児や社会的弱者に対しての憐みも、同列に扱われているのです。
1945年9月28日に差し込まれている『余は別に世のいはゆる愛国者といふ者にもあらず、また英米崇拝者にもあらず。惟虐げられる者を見て悲しむものなり。強者を抑へ弱者を救けたき心を禁ずること能ざるものたるに過ぎざるのみ。』はまさに荷風のスタイルを自己が語る珍しい一文だと思いますし、その通りだと思います。こういったスタイルをとり続けられたのはもちろん既に荷風が文学者として成功を収め、養う家族が居らず、そして兄弟の縁を切っていたから可能となったまさに個人主義者の極まりだとも言えます。そしてだからこその最後、なのでしょう。ここまで来るともう尊敬に値すると思います。孤独死なんて織り込み済みですが何か?くらいの感覚なんだと思います。
そして何度も何度も出てくる、恐らく荷風が1番心を許した友人である井上 唖々子(正確には井上 唖々が正しいのか?)が日記の最初の段階で既に故人である、というのが残念。どんな人物だったのでしょうか。
永井 荷風は、まともでまっとうな感覚の持ち主であり、しかしそれを大上段に構えて周囲に説き伏せるのではなくただ日記に書き付ける人嫌いの個人主義者であると同時に、非常にロマンチストであり、だからこそ、今ではなく過去にロマンを求め、しかも現実の女にもかなり振り回されているという人物であったような気がします。
昭和初期の東京銀座の、文壇の、日常の生活を垣間見て見たい方にオススメ致します。
四畳半襖の裏張り [DVD]
日活ロマンポルノの初期の名作のひとつではないでしょうか。
永井荷風の作と伝えられる発禁ポルノ小説『四畳半襖の下張』を下敷きにした作品。海外では《The World of Geisha》というタイトルで紹介されている神代辰巳監督の代表作でもあります。
大正時代の米騒動の頃の東京は新橋界隈の花柳界が舞台。男と女の淫らで喜劇的な色模様の底にただよう、なんとも辛辣な人間観察が印象的です。
宮下順子、絵沢萠子、芹明香など、存在感のある女優たちの演技ににじむ女の性の本音としたたかさ。江角英明、山谷初男、粟津號が身をもって演じた男の性の滑稽とむなしさ。どちらにも心にしみるものがある。
あの唐突な幕切れにも不思議な余韻がありますね。
正直にいって、ポルノグラフィとしてのエロさの度合いはあまり高くない。それに娯楽作品にしてはいささか身につまされてしんどいストーリーだとも感じたけれど、日本映画史上の不朽の名作のひとつだと私は思います。内容は完全におとな向き。
女性が見てもそんなに違和感がないのでは?