ピアノへ―10人のピアニストたちが語る20世紀のピアノの名盤そして私がピアニストになるまで
矢野顕子さん、小山実稚恵さんなど10名のピアニストのピアノへの思い入れが書かれています。中でもピアノを習うきっかけや、幼少の頃は練習がいやで一度は親と喧嘩してやめてしまった。とか、スパルタの親に一生懸命ついていった。コンクール出場の話なども・・・
全員が恵まれた環境で挫折なく過ごしたわけでは無いと感じる場面も多々あります。
子供と一緒にピアノを頑張っている方々にはとてもためになるお話しが沢山ありました。
荒廃する世界のなかで――これからの「社会民主主義」を語ろう
サッチャーやレーガン以来の価値観であった新自由主義が何を齎してきたのかということはだんだん僕らにも見えるようになってきている。
一億総中流社会という言葉はある時期の日本を言い表していた。僕の記憶している限り、いささかの皮肉が込められた言葉だったと思う。中流という言葉の中途半端さが皮肉を呼んだのかもしれない。しかし、今となってみると、「中流」はともかくとして「一億総」という部分に実は安定した社会を維持出来てきた鍵があったということなのだろう。一億総中流社会とは実は良い時代だったのではないか。
本書の基本線は「社会の中で不平等、格差が広がった場合には、結果としてその社会を壊してしまう」という点だ。新自由主義が「自己責任と自助努力」という呪いと共に、徹底的に個人のメリットを追求した点に対する著者の最も強い反論がそこにある。
「自己責任と自助努力」という言葉を謳歌した連中はリーマンショックの際に、皮肉にも国に救済された。too big to failという仕掛けまで用意していた連中の賢さには感心するしかない。
Winner takes allという言葉がある。敗者には何も残らないわけだ。敗者は退場せよと言われる。しかし、どこに退場させるのかということだ、社会から退場させようということなのだろうか?その延長上が本書にも出てくるゲートコミュニティーでしかない。勝者が住める場所はゲートで閉じられた狭い場所になってしまうのだろう。なぜなら勝者の数は少なく、圧倒的多数が敗者であるのだから。
本書を読んで勉強になったことは世界は「大きな政府」と「小さな政府」の間を振り子のように動いてきているという歴史を持つということだ。新自由主義が横行したリーマンショックまでの流行は「小さな政府」である。震災後の日本はとりあえず「大きな政府」を志向せざるを得ないだろう。それほどまでの、この振り子の振幅は大きく、かつ揺れも早い。
その「早い揺れ」の中で、そもそもの人間の社会というものはどうあるべきなのかを語るのが本書である。本書が説く社会民主主義は格差を減らし、平等を志向する哲学だ。それが本当に動物としての人間のあるべき姿なのかどうかはまだ結論は出ていないとは思う。但し、震災と原発問題を抱えた日本という特異な地点から見て、現段階では非常に魅力的な言説であることは確かだ。少なくとも最近の日本で「勝ち組、負け組」という言葉は聞かなくなったと思う。
但し、繰り返すが、それが本当に人間の本性なのかどうかは分からない。
pure acoustic
このCDの前身ともいうべきコンサート会場で販売された。CD僕の
時は好評につき再版されたものだったが。アレンジ楽譜(2冊も買った!)
とミニCD(語りとレザ・パネのピアノ即興によるもの)と併せて
かけがえのない思い出の品になっていた。
それがある時に、最初のCDに何曲かプラスされて出ていた。
たぶん最初の数曲ではあまりに少ないとおもったからだろう。
最終盤ではカットされていたのもある。他のCDからの引用だったせいだろう
これも買った。するとまたそのあとに!又出たのだ!!
このデザインになっているCDである。
最終盤である。
それはともかくも、このCDは今もっても彼女の代表作である。
ある意味でこのあとのCD「プリッシマ」までが僕の中で彼女の一時代が
終ったといえる。内容は過去の作品が多いのだが、アコースティック
サウンドは中西俊博とレザ・パネとの共同作業で一層輝きを増している。
できれば過去の作品と併せて並べて聞いて欲しい。
大貫妙子の魅力が一層わかることと、クオリティにこだわるアルバム作り
が理解できる。
文句無しに彼女の代表作!!!
姿なき殺人者 [DVD]
英国出身の演技派の俳優をそろえ、地味ながらも原作の持ち味が活かされた佳作。閉ざされた空間で一人ひとりが殺されていく様子は白黒画面と演出が巧く融合して効果を高めている気がしました。本作以降のリメイク作はサスペンスが薄く、ホラーっぽく描かれているので、本作は「そして誰もいなくなった」の最後の正統派な作品と思っています。