ロンギヌスの槍―オカルティスト・ヒトラーの謎 (学研M文庫)
ヒトラーのナチズムに隠された動機とは、・・・古代から引き継がれるキリストを刺した槍に宿る〈悪魔〉であり、その秘密の力を獲得することである。
あの時、ヒトラーを通してヨーロッパに働き掛ける古代以来の〈悪魔〉の力を予防し、抑止することは果たしてできただろうか?どの段階かではできたが、どの段階かからは不可能であっただろう。亡命すべからざればただただ死しかなかったと私には思われる。著者はドイツに帰化したヒューストン・スチュアート・チェンバレンなる人物について「悪魔に追われた男」として、〈悪魔〉は「いつ、どこで彼の魂に取り憑くのか知らなかった・・・チェンバレンを常に監視していた防衛軍の情報員らは、彼が目に見えぬ悪魔から逃げ出すさまを見たとすら報告している!」(175頁)と驚愕とともに書いている。著者は単純な反ナチではなく、〈悪魔〉を看破しようとしているのである。これほどに〈悪魔〉を実体あるものとして現実の政治史的問題を凝視しつつ描ききった著作を私は知らないが、その著者をしてこうまで表現しているということだ。
〈悪魔〉が「人間の意識のあらゆる発展段階で、人類の正しい進化をどのように妨げるか」を知っていたカール・ハウスホファ博士はヒトラーにそれを念入りに教えた。「オカルトの儀式や入門の知識を真面目に研究すれば、彼らがあらゆる代償を払って人類一般から隠し続けてきた霊の存在は明らかになったはずだ」(305頁)のに、それは抛棄された。
〈悪魔〉の問題を表現する困難さを沈黙によって贖うことはできない。普通は実体のないものとされる存在を実在として描かねば、中途半端な言葉遣いではその魅惑の力に侵されてしまう。かといって、未だ尻尾すらつかんでいないことは自明の前提である。現実社会の政治は力の統御を民衆の隅々まで及ぼさずには〈悪魔〉から身を守ることなどできない。ひとたび、ちぐはぐの力が〈悪魔〉に捉えられれば・・・、堂々巡りの自戒を常に確認しておかねば、否、そうしていたとしても、〈悪魔〉から身を守ることはできないかもしれないということ、これが判っているかどうかだった。