皇紀二千六百年奉祝楽曲集 [R.シュトラウス/ピツェッティ/イベール/ヴェレシュ] 玉音放送 (Festmusik zur Feier des 2600 jahrigen Bestehens des Kaiserreiches Japan op.84 etc) (2CD)
「皇紀二千六百年奉祝楽曲」作曲の趣旨やCDの内容については、商品の説明(内容の説明)に詳しい紹介があるので参照して欲しい。
このCD販売を企画したのは、紀元2600年(昭和15年)が明治維新から72年目に当たり、今年(平成24年)が紀元2672年となるからであろう。紀元2600年は現在からみると、明治維新からのちょうど折り返し点ということになる。
早速、2枚のCDを聞いてみた。最近のデジタルサウンドに慣れた耳には、ノイズが多くダイナミック・レンジも狭くモノラル音響であるこのCDを長時間、聞くのはかなり辛いものがある。音質の点からいえば、皮肉なことに音楽ではなく『終戦の証書』(玉音放送)が最も優れており陛下の息遣いまで聞こえるようであった(このCDへの収録に少々疑問があるが)。
紀元2600年の奉祝行事については、亡くなった祖母や母から「♪金鵄輝く 日本の栄ある光 身に受けて〜」の奉祝歌についてはよく聞いていたが、本格的な楽曲が作曲されていたことは知らなかった。あのR.シュトラウスまで作曲していたとは驚いた。戦雲垂れ込める時局のなかでオリンピックと万国博覧会も中止となったが、奉祝行事は粛々と行われたのだろう。紀元2600年を迎えた当時の日本人の意気込みが感ぜられる。
R.シュトラウスの「皇紀2600年奉祝音楽」は如何にも彼らしい交響詩風の内容である。もう一つ印象に残ったのは、皇紀2600年の奉祝曲ではないが、近衛秀麿作曲の昭和天皇即位の大礼に際して作曲された「大礼奉祝交声曲」である。特にこの2曲を新しい生の演奏で聞いてみたいものだ。
村田英雄全曲集
昔−昭和30年代−今は亡き父と風呂に入っている時などに父がよく「人生劇場」とか「王将」などを歌っていたことを思い出し買ってみました。
ちなみに私にとって音楽とはZeppelinでありBachだったのですが村田さんの歌声を聞いて何かなくしたものを見つけたような、遠い昔を思い出させてくれるような気持ちになりました。
「無法松の一生」「蟹工船」「男の土俵」...何故か何度も聴いてしまいました。
根っからの日本人なんだなあ、と思った次第です。
日本二千六百年史
本書の著者は、東京裁判で東條英機の頭を後ろからひっぱたいた"あの人"です。
序文で『日本歴史は日本の国民的生命の発現である。それ学ぶ事は日本人の真個の面目を知る事である(抜粋)。』と歴史を学ぶ意義を述べます。第一章で『吾らの現に生きつつある国家、吾ら自身を正しく把握するに為には必ず国史を学ばねばならぬ。史学によって覚醒せられたる日本精神が、興国の力となる(抜粋)。』と展開し、『唯だ正しき国史の研究のみが吾らをして日本歴史の尊貴、日本民族の偉大、日本国体の荘厳を体得せしめ、よく一切の非常時に善処するを得せしめるであろう(抜粋)。』と、国史研究消長と国家盛衰の関連とともに、正しい国史研究の重要性を著者は説きます。
切支丹禁制の背景を例にとれば、『基督教が国内の人々の注意を喚起した点は、その教義自体よりも、信徒達の教えに対する熱誠が排他的性格に激化した事であり、事実この排斥精神が仏教教理を非難して神社仏閣の破毀を奨励した。キリシタン大名達も領内の神社仏閣を破毀し洗礼を強いるなどした。スペイン、ポルトガルからの基督教伝来が土地の侵掠を伴う事を歴史が物語っており、もはやこれまでの一向宗や法華宗による宗門一揆の騒ぎの比ではないと徳川氏が警戒に至る所以だった(抜粋)。』と、史実の背景が明解に記されています。勿論全編に亘って丁寧な解説が整然と記されています。
歴史が動いた背景を正確、克明に読解した結果が正しい歴史認識に直結し、この蓄積がやがては国家の存亡を左右するという一貫した理念で著されています。本書は昭和14年に出版され、満州事変の記述で終わっています。官憲の弾圧にも拘らず当時ベストセラーになりました。少なくとも断片的史実の羅列に過ぎない今の高校教科書より遥かに頭に入るし、一貫した流れに沿って著す著者の視点にも感服しました。