まず、これは面白い本である。
中井貴一の書く文章は、あえて本人が意図しているのか、かなり軽い文体で綴られている。様々なエピソードもかなり笑える。ときに何度読んでも腹がよじれるくらいに。次に、これは感銘を受ける本である。俳優である
中井貴一の映画作りに対するこだわり、情熱。そして、これは考えさせられる本である。日本は便利で清潔だ。だが、便利だ、清潔だということが本当に人間の幸せなのか。そして、これはじーんとくる本である。日本人だからという理由で
中井貴一を毛嫌いしていた中国人女優が
中井貴一に「あなたは私たちの仲間だから早くまた戻ってきて欲しい」と告げる。中井さん、どうもありがとう。また大変な体験をしながら映画作りをし、こんな本を書いてもらいたい。
ダメ男・吾郎(
中井貴一)と偽装結婚して不法滞在を隠ぺいした中国人女性,白蘭=パイラン(耿忠)は病気で亡くなる前に吾郎に手紙を書いていた。そこには,書類上の夫でしかない吾郎,騙されてつかまされた偽ダイヤを白蘭に届けてあげた吾郎に精一杯の感謝の言葉があった。
白蘭の骨箱を抱いて手紙を握りしめた吾郎は,娼婦館のママ(倍賞美津子)に「どうして国に知らせてやらなかったんだ。知らせてやるのがフツウだろうが」。すると,ママはこう答える。「フツウがどういうことか分かってんのか。17,8の人間がこんなド田舎で体を売るのがフツウじゃねえ。十万が向こうの親の一年分の稼ぎになるってことがフツウじゃねえんだよ。金の値打ちに違いがあるってことがフツウじゃねえんだよ。おめえはフツウの人間か。血を吐いて死ぬまでかせがせるのがフツウの人間かよ。フツウだよ,金が欲しいってのが。紙一枚の戸籍を途方もない値で売ってるおめえたちと同じさ。その金を返すために死んだようなものだ」。フツウが普通で通らないこと,それが森崎映画の怒りの原点にあります。つまり、よく見てみれば『ニワトリはハダシだ』、当たり前のことが当たり前になる世の中が大事だ、と主張しています。松竹さん,藤原審爾『わが国おんな三割安』を原作とした森崎東監督「女」シリーズも是非DVD化を!
中井貴一さんの中国での映画作りの日記Part2。
前回は俳優として単独で現地入りしての苦闘の様子が描かれ、今回はもっと良い映画を作りたいとプロデューサーにも名を連ねる。
映画2作ともいまだに見ておらず本だけの感想となるのだが、初めの日記の面白さ、中国の興味深さに惹かれてこの本も読んでみた。
今回は中井氏単独でなく、メイクや音楽、スチル写真担当など、合作映画として日本人
スタッフも最小限ではあるが参加や同行する。
単に映画作りの中国との違いだけでなく、民族の風土・歴史・文化から導かれた生活信条や行動の日本との大きな違いに、前回の
日記を読んだ時と同様に考えさせられるところが多く、隣り合う漢字文化圏であってもその違いの大きさに目をみはる。
しかし、それだけでなく国の進める教育、放送、マスコミを通じての思想(権力組織の維持の為とも思うのだが)のコントロールが、
徹底していることに驚くと同時に中井氏の苦労が身につまされ、一歩一歩自分の行動で相手の考えを変化させていく姿にご苦労様と
声を掛けたくなる。
深く身に付いた考えをお互いに理解しあうということは難しいし、このような一人ひとりの地道な行動でしか道は開けていかないのかも
しれないなと読みながら思う。
日記3がいつか書かれるのか楽しみに待ちたい。(しかし、トイレと風呂問題は今回も大きかったな…)