テロリズムの被害者であり、かつテロリストの温床とされる人工国家パキスタン・イスラム共和国を対象とし、「想像の共同体」ならではの国家統一"維持"への腐心、国民に強く根付いた部族意識、アフガニスタンとの強い紐帯、英領インド帝国からの分離独立とその後の経緯を巡っての隣国インドとの対立が、歴史的経緯から縦深に掘り下げられる。
その上で、国家内国家であるFATA=連邦直轄部族地域に潜む諸問題を平和理に解決することが、この地域だけでなく、ひろく国際情勢の安定化のために不可欠であることが、駐パキスタン公使を含め長年外交の最前線で責務を担ってきた元外交官によって示される。
実に情報密度の高い本書。カシミール問題に触れる程度の期待から試し読みしたのだが、その深い内容に感銘し、その足でレジに直行したことを憶えている。
■パキスタン社会
独立前からの半封建的な大地主制度、60%に満たない識字率、宗教的な制約。表面的な民主主義を謳いつつ、支配者が一族の利益を優先する不安定な政治体制。これらの要素が相まって、国家の成熟に不可欠な中間市民層の育成を現在に至るまで妨げている(p13)。
中産階級層の薄さが、工業化社会、情報化社会への飛躍を妨げることとなり、インドとの格差は拡大する一方か。
・建国の祖、ジンナーは国語であるウルドゥー語を話せず。パキスタン国民への演説は
英語で行われたとある(注p3)。
エリート層と庶民層の絶望的な乖離が、国民の結合を妨げる要素のひとつでもあるのだろう。
・文民政治家の腐敗を横目に、無力な庶民には諦観と他者への誹謗・中傷が蔓延する。蓄積された不満は騒擾を引き起こし、政治の不安定化、ひいては軍事クーデターと軍政への支持が繰り返されてきた。
・国家のアイデンティティは「イスラム教徒の国であるとの一点のみ」(p20)であり、民族の多様性と地域間格差は、常に政治を不安定にしてきた。
■軍・安全保障・外交
パキスタンにおいて最も強力かつ統制のとれた組織。
ムスリムでありながら、英領インド軍の世俗性を受け継いだ近代的軍隊。
分離独立時のインドによるジャム・カシミール藩王国の軍事占領が、インドへの強い不信感と抵抗への気運を発生させた。(p54)
1965年、カシミール奪回のための二段階作戦が発動。ジブラルタル作戦:武装ゲリラにより暴動を発生させ、グランドスラム作戦:インド軍との全面戦争を回避しつつ、正規軍が支援する。第二次印パ戦争。インド軍はラホールにも進撃。虚を突かれたパキスタンは敗北(国連調停)。
1971年の第三次印パ戦争で東パキスタン分離独立。シムラ協定による事実上のカシミ−ル分割統治の完成。これがパキスタン軍をして低強度紛争・非正規戦争の研究強化に向かわせ、カシミール分離独立義勇戦士、国際テロ問題に繋がる。(p57)
ウル・ハック軍事政権による軍のイスラム化政策は、現在にまで続くパキスタンの苦悩をもたらす一つの大きなきっかけとなった。宗派間抗争とテロ、アフガン難民を抱える経済負担と「麻薬と銃の文化」の流入による治安悪化。
・ブットー大統領以来の外交安全保障の基本的思考。
インドは脅威。対インドで外部勢力の力を利用する。米国は信頼できない。中国(敵の敵は味方)とサウジアラビアを主要な戦略的同盟国とする。(p69)
・戦略的縦深性をアフガニスタンに求める。
インド軍に領土深く侵攻された場合にの一時避難地として。パキスタンに従順なアフガニスタン政権の樹立を画策
・核管理の脆弱性への懸念。
通常は核弾頭を外している。核システムへのアクセスは国家指揮委員会メンバーに限定されており、システムがブラックボックス化されている。(p70)
■FATA 連邦直轄部族地域
パキスタン、アフガニスタンにまたがって居住し、部族ナショナリズムの側面をもつパシュトゥーン人の団結は、パキスタンの統合を脅かす要素となりうる。
英領インド帝国のデュランド外務大臣がアフガニスタンの太守に合意を強要した「デュランド・ライン」の存在が、現在もこの地域の不安定要素となっている。
・アフガニスタンは1947年のインド帝国の解体をもって、部族地域に関わる全ての法令が廃棄されたとの立場。デュランド・ラインによる分割を否定している。
・FATAの地域はもともとアフガニスタンの領土。1849年にイギリス軍が侵入し統治を開始。
・1901年に一般定住地区と部族管区とからなるNWFP北西辺境州が定められる。総督名代としての政務官と、部族長老(マリク)による支配制度。
・FATAには1901年の「辺境刑法」が現在もパキスタン政府により適用されている。(p98)
建前上、FATAは北西辺境州父音管轄下に置かれるが、実際にはFATAにはパキスタンの法令は適用されず、ジャーナリストを含む一般のパキスタン人の入域も制限されている。
・インドからの分離独立時、パキスタンに併合される見返りとして、それまでの部族特権(年間給付金、所得税免除)を継続することを認めさせた。
議会、裁判所、警察は存在しない。国境警備の12万人を除き、軍の常駐もない。
・FATA内の治安は、辺境警備隊(連邦軍主導)、辺境警察(連邦警察主導)、部族民兵警察であるカサダール(パシュトゥーン語で警察)とレビース(パシュトゥーン語で徴募兵)による。部族民兵警察は政府ではなく部族に奉仕する。制服はない。世襲的に部族長の権限で任務配分が定められる。
・2002年以降、テロ対策として軍部隊が活動するようになり、部族にしてみれば「パキスタン中央による侵攻」と映る。中央政府への反感はイスラム武装勢力の浸透を手助けすることとなった。
■経済の混迷
経済合理的な政策判断に軍、エスタブリッシュメントが頻繁に介入を繰り返したことにより、社会的歪みが積み重なる。
・輸出の60%を占める繊維産業は中国に圧され、棉花は国際価格変動の影響を受けやすい。背景にエネルギー不足と女性労働力の軽視。改善しようとする意識や気運は見られない。
・治安の不安定さと教育水準の低下と相まって、国際経済活動からの断絶という悪循環に陥る。近代的な社会経済活動の停滞へ。
・社会階層間、地域間の格差は大きい。
英語系私立校の卒業生はエリートとして国外へ流出。地方では公的教育制度の不備により、イスラム教育学校=マドラッサを通じて過激派の思想が浸潤する。職も希望もない若者は大都市に流入し、政治活動や騒擾に参加する。そこから、カシミールでのテロ活動に参加する者も現れる。
・下級公務員の給与も低水準。不正と賄賂が蔓延する。高級将校は別として、治安関係者も例外ではない。
・民主主義的な文民政治であるはずの90年代は、ポピュリズム的経済政策と賄賂政治により政情不安となり、工業化と社会の安定化は阻害された。
・皮肉にムシャラフも軍事政権下において一貫した経済政策が採られ、経済は好転する。ただし米国への支援の代償としての経済援助の効果でもある。
・外国からの援助は国家財政に組み込まれ、軍事費並となる。(p83)
・2008年には暗転し、経済危機へ。食糧・燃料価格の高騰による財政赤字の拡大と外貨準備高の激減、インフレ(25%)をもたらし、電力不足と資本の海外逃避。カラチ株式市場は40%下落。選挙により、ムシャラフ大統領は退陣に追い込まれた。
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遠くは大英帝国の支配、近くは冷戦下の西欧諸国の戦略が南アジアにもたらした災厄が、テロリズムとして先進諸国に"返礼"されたことは皮肉だが、傍観していては何も改善されない。
本書には、特にイスラーム色の強い中東から南アジアに渡る地域の"国際社会への融合"を目指す上で、日本を含む国際社会が取り組むべき課題が明確に示されており、強い知的刺激を受けた。
また巻末の解説(注記)、欧文表記一覧を含めて圧倒的な情報を有しており、読了の後もたびたび参照してきた。
市井の個人にできることは微々たるレベルだが、本書のすばらしいガイドラインを照合しつつ、少しでも近隣諸国との関係改善に貢献したいと思うようになった。
パキスタン国民は常に二者択一を求められてきた。
民主政下での腐敗した政治と不安定な経済に不満の日々を送るか、軍政下での一見クリーンな統治と経済成長を謳歌するか。これを打破する道はあるか?
その細い道は民主化の深化にこそ隠されているに違いないし、2013年の選挙(ムシャラフ氏は残念でした)でその入り口に辿り着いたものと思いたい。