当方はハルキストでもアンチ・ハルキストでもありませんので、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』について言及する気はありません。
ただ、そこで狂言回しのように使われる音楽には関心を持っています。小説だけでなく、そこに引用されている音楽にも関心が集まるのは人気作家の話題作の性でしょうし、それらの読者を意識して音楽アルバムが作られるのも恒例です。
今回は書名にフランツ・リストの『巡礼の年』を入れているわけですから、音楽に注目が集まるのも当然でしょう。『巡礼の年』は聴いたことの無い音楽だということもあり、好奇心でこのアルバムを聴きました。
いや、実に面白い聴き比べでした。当たり前ですが、演奏家によってこれだけ表現が違ってくるなんて。また多くのリスト作品を今回聴いたことで、ヴィルトゥオーゾぶりの作風をひけらかすだけでない、彼の華麗な音楽作品からは感じ取れないような心象風景の様な音楽と遭遇できたのは僥倖でした。食わず嫌いは音楽でもありますので。ましてクラシック音楽はそうでしょうから。
冒頭のラザール・ベルマンが弾く「Le mal du pays(ル・マル・デュ・ペイ)」は本当に印象に残りました。草書体といいますか、自由な表現を随所に聴くことができます。テンポ・ルバートも頻繁に行いますし、ダイナミックレンジも相当な幅を持っていました。1977年5月の演奏とは思えないような揺れ動くロマン的な表現がかえって現代では新鮮でした。
なお、もっと彼の演奏を聴きたいと思いましたが、本アルバムで収録されているのはこの1曲だけでした。旧ソ連のユダヤ人・ピアニストというある意味不遇な境遇だったわけで、これだけの実力と個性がありながらあまり知られていないのは惜しいですね。当然、並はずれたテクニックもありますし、独自の音楽解釈を持つピアニストですから、彼が残した他の演奏にも関心を持っています。その意味でも良い切っ掛けづくりになりましたが。
なんとなく、記憶の淵に名前が残っていましたので、調べましたら、1977年に来日しているのですね。NHK交響楽団と共演したようで、どうもそこで知ったようです。村上春樹は相当な音楽通ですから、ラザール・ベルマンを小説の中に取りいれる手法は上手いですね。
リーフレットの解説を書いている池田卓夫氏は「やや古風なロマンチィストならではの温かく、たっぷりした音楽にこそ真価があった」と述べていました。その印象は同感です。
アルフレッド・ブレンデルの「Le mal du pays」の演奏が3曲目にありますので、ラザール・ベルマンの演奏と比較できます。1986年の演奏ですが、現代的な解釈というのでしょうか、楽譜に書かれているのを明瞭に浮かび上がらせるように演奏していました。池田氏の解説では「ベルマンより、カチッと弾いている」と表現していました。
個人的には、4曲目の「ジュネーヴの鐘 (巡礼の年 第1年≪スイス≫から)」や「婚礼 (巡礼の年 第2年≪
イタリア≫から)」のほうが所謂「華麗なリスト」らしさを感じました。「婚礼」の曲を知りませんでしたが、華やかで美しく、魅了されました。
ラストには有名な「ピアノ・ソナタ ロ短調~Lento assai-Allegro energico」が、収められていました。圧巻の演奏でした。流石にブレンデルです。その意味において、このアルバムの音楽的な質は保証できます。
なお、本サイトでは、「
ロシア人のラザール・ベルマン、
オーストリアのアルフレッド・ブレンデル、南米チリ出身のクラウディオ・アラウの3名のピアニストによる『ル・マル・デュ・ペイ』を聴き比べできる作品」と書いてあります。
これは間違いで、クラウディオ・アラウは「エステ荘の噴水 (巡礼の年 第3年から)」を演奏しています。曲目をみれば理解されるでしょうが。
交響曲、室内楽、ソナタなどの器楽の分野で古典派音楽の完成に大きな貢献をしたと言われているこを証明する1枚ではないだろうか。交響曲94番は大変有名で逸話に枚挙が無いとも言われている。また、104番は、ザロモン交響曲12中、いやむしろ全交響曲中最高作であるという大方の説に素直に肯かざるをえない。その他、収録されている楽曲は余りにも有名で、お勧めのアルバムと言える。