「セザンヌ」は初めにオルセー
美術館から制作依頼を受けたものの、ストローブ&ユイレ側が一旦断り、結局は承諾して撮影したものの、今度は試写を観た
美術館側から上映が拒否されたという曰く付き。
オルセーのキュレイター達なら彼らの作風がどんなものか十分承知していたはずだろうに、そんな希望的観測など軽々と裏切ってしまうストローブ&ユイレの大胆な試みは、確かにその意図が難解です。セザンヌとの関連性が直接には理解しかねる2つの他の映画からのシークエンスがかなり長く引用されるのです。
しかし、画家の作品そのものだけでなく、連作の画題となったサント・ヴィクトワール山の実写や、カンバスを前にしたセザンヌの写真に、彼独自の絵画論が展開されるのは見応えがあります。
姉妹編「ルーヴル
美術館訪問」は、セザンヌと共に
美術館を訪れ、展示されている作品を前に、彼の絵画評を聞かされるという素晴らしい趣向。
ジョアシャン・ガスケが著したセザンヌの言葉の中には、多分に詩人の創作が混じっているというのが定説になっていますが、そんなことは忘れてこの激しく力強い朗読に浸ろうではありませんか。朗読者は細かく発声法を指示されたそうで、私たちが字幕を読まなければならないのは残念至極です。
朗読だけで何も映ってない時間が流れたり、反対に無音で静止画が続いたり、禁欲的なストローブ&ユイレの作風も頂点を極めています。
「アン・ラシャシャン」は7分のモノクロ短編ですが、生意気に駄々をこねているような子供が、大人の常識を覆すまでが描かれます。
「ロートリンゲン」では、
フランス北東部ロレーヌ地方の風景に、
ドイツに占領された歴史がナレーションで被さります。唯一画面に登場する乙女は、決して過去を忘れることをしません。
印象派の先駆として孤高の画家、理知的で怖いもの知らずの早熟児、厳しく信念を貫く女性。ストローブ&ユイレの作品に相通じるものがあるのでしょう。