この作品は、以前に見たことがある映画ですが、栗林忠道中将のお人柄、実際に
硫黄島の戦闘に向かわれた方のインタビューなどを見て勉強しながら、この映画
を改めて観てみました。そうしたら、以前とは違った見方が見えてきて、今の私
たちに問いかけているかのような気持ちになりました。
■この映画の役割は、「硫黄島」を日本人に思い出させたこと
これに尽きると思います。今は、東
京都小笠原村硫黄島として日本の領土となり
ました。かつてこれほどまでに激烈な闘いをした島があって、そこに2万人を超
える人々が日本を護ってくれた。しかも、そのほとんどが一般人であり、弾薬・食
料の尽きているのに、十分な物資・装備を誇るアメリカ兵と、5日間で陥落すると
言われた中で35日間も戦った。この映画が出るまで、ほとんどの日本人が、その存
在を忘れていた。アメリカでは、栗林中将はアメリカ兵と互角に戦った指揮官とし
て尊敬され、この時代の最も有名な軍人の中の1人です。それを、思い出させてく
れただけでこの映画の役割は十分果たしていると思うのです。
■相当な資料を
調査して作成されたのだろう
本作を見て、クリンスト・イーストウッド監督は、色んな文献を読まれ、栗林中将
のお人柄を検証されたのが伝わりました。ただ、映画では、アメリカ兵が来る直前
になって「自決せずに、最後まで闘え」と命令していましたが、実際そうではなかった。
「膽兵(たんへい)の戦闘心得」と言う非常に具体的な兵士への指導を数ヶ月間行って
いました。戦闘時の具体性をもった心得がかかれており、どんなミスをしてしまい
がちなのか、どう対処すればいいかが書かれていました。また、その中には「一人
十殺」を命じ、無意味なバンザイ突撃は禁じていました。
■何が硫黄島の人たちの士気を挙げたのか
硫黄島は捨て駒の様に扱われ負ける運命だが、本土の大本営にアメリカとの和平交
渉を行って、戦争を終結してほしかった。敗戦する見込みであったことや援護がな
い事も知らされていた。ここで、硫黄島の人たちの士気を挙げたのは、アメリカ兵
が硫黄島を拠点として本土上陸すれば、家族が大勢死ぬから、本土を護りたいとい
う気持ちからでした。
■この映画は日本人の手で作られるべきだった
この映画を見ている最中に、やはりこれは日本人が作らなければいけない映画で
あると思いました。これも映画に出てくるセリフですが、私たちに届いているで
しょうか。いつか、この物語を日本人が映画化することができたらと願います。
8ヶ月間同じ食事を共にし、本土にいる家族、恋人や友人の命が助かって欲しい
から、戦って命を落としていった兵士のために(栗林自身に対しても)、総攻撃
の前に詠んだ辞世の句です。
・国の為 重き努を 果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき
・醜草の 島に蔓る その時の 皇国の行手 一途に思ふ
ところで、平成6年に今上天皇陛下が硫黄島に慰霊に訪ねられたときに御詠みに
なられた御製です。
・精根を 込め戦ひし 人未だ 地下に眠りて 島は悲しき
まるで栗林中将へ、応え、語りかけるかのような御製ですが、今も硫黄島に眠
るその魂に届いていると私は信じたいです。(約21,000人が亡くなられた硫黄
島の戦いで、未だ約9,000人分の遺骨しか発掘されていません。)
■この映画で、日本人が受け止めるべきメッセージは
繰り返しになるが、この映画の功績は日本人が忘れていた硫黄島や栗林中将の
事を思い出させてくれたことです。そして、彼らが戦った意味は、日本の行く
末(皇国の行手)が良い方向に進んで欲しい、それに尽きる。これも映画に出
てくるセリフだが、総攻撃をかける数時間前に、栗林中将は大山純軍曹達の前
で以下の訓示を言います。
「予が、諸君よりも先に、先陣に散ることがあっても、諸君の今日まで捧げた
偉功は決して消えるものではない。いま日本は戦に敗れたりと言えども、日本
国民が諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功をたたえ、諸君の霊に対し涙
して黙祷を捧げる日が、いつか来るであろう。安んじて諸君は国に殉ずべし。」
日本人が、この映画で最も受け止めなければいけないメッセージは、このセリフ
ではないでしょうか?先人達の苦労を理解し、彼らが戦った理由を汲み取り、敬
意を払う。そうした一人が増え、また一人が増えていけば、彼らの魂も救われる
のではないでしょうか。
■今も眠る硫黄島の兵士へ
硫黄島での生活で一番困ったのは、水が無かったことだそうです。雨水を貯め
ても、地熱で熱湯になるそうです。どんなに水が欲しかったか。最後に、皇后陛
下の、この御歌を添えて、硫黄島に想いを寄せたいと思います。そして、この日
本を良い方向へ進めないといけないですね。
・慰霊地は 今安らかに 水をたたふ 如何(いか)ばかり君ら 水を欲りけむ