天の川の太陽〈上〉 (中公文庫)
気持ちが大らかで、賢く、武道に優れ、同性からも憧れられた強い男性、大海人皇子。本当にかっこいいです。もともと、理想の男性像だった大海人皇子を、ここまで素敵に表現された黒岩先生に感謝です。
武勇という鎧の中の、戦略戦術家。大木をも力で倒す斧のような大海人皇子と、刃が鋭く尖ったかみそりのような中大兄皇子との兄弟という微妙な関係がとても面白く、深みがありました。
落日の王子―蘇我入鹿 (上) (文春文庫 (182‐19))
「紅蓮の女王」「天の川の太陽」に続く、黒岩重吾の古代史ものの第三作目にあたる。
蘇我入鹿といえば日本史上の稀代の悪人としての印象が定着している。なぜ黒岩は
入鹿を三作目の主人公に据えたのか?それは黒岩の現代ものを読めばわかる。彼は
悪をずっと描いてきた。といっても単純な悪ではない。黒岩は自らの随筆の中で「悪の
中に悲しみと善を、善の裏の醜と悪に反応する」と語っている。本書に登場する入鹿も
大悪党ではあるが、そこに男としての美意識があり、哲学がある。「野生の荒々しさと
知性が見事に交じり合」った傑物として描いている。乙巳の変についても、傲岸不遜の
逆臣・入鹿が成敗されたといったような単純な話にはしていない。それどころか入鹿と
中大兄皇子・中臣鎌子らが目指していた方向は同じであって、ただその主導権を誰が
握るのかをめぐっての争いであったとの認識に立って物語は進んでいく。(下巻に続く)
斑鳩王の慟哭 (中公文庫)
推古女帝が大々的な薬猟を行なう場面(611年)から、斑鳩宮の上宮王家滅亡(643年)
までを描いている95年発刊の作品。85年に上梓した「聖徳太子」の続編といってよい。
「聖徳太子」では厩戸皇子(聖徳太子)の成長過程やその理想と闘いを描いていたが、
そこでは彼の未来の国づくりへの希望と覇気が感じられた。しかし本作は全編に
悲しみが満ちている。理想と現実の狭間で苦悩する厩戸とその悲愴な最期、偉大なる
父の陰で劣等感を抱えつつ、運命に翻弄されていく山背大兄王が中心に叙述されて
おり、その読後感は厩戸と山背王が深く帰依していた仏教の説く"諸行無常"であった。
「聖徳太子」とのタッチの違いは黒岩がインタビュー(解説の中に抜粋されている)で
告白しているように、87年以降に人生観が変わったことが影響しているのかも知れない。
本作の執筆動機について黒岩は、平成四年に丸山古墳の石室内の写真が一般に
公表されたことをあとがきで挙げている。それによって推古朝を語る上で重大かつ
驚くべき事実が判明し、それがさっそく本作の中で物語として活かされている。
厩戸の最期の言葉とされている「世間は虚仮、仏こそ真」が胸に迫ってくる作品である。