日本文化私観 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)
英会話教室にいくと必ず「日本文化であなたが実践していることはなんですか?」という質問が出る。答えるほうはたいがい「お茶も生け花もしてないし、ご飯食べてるくらいかな」とはにかみながら答える。私もその一人。だが、質問者の聞く「日本文化」とはなんだろうか?「茶」・「生け花」をすることが「日本文化」を体験することなのだろうか。
坂口安吾「日本文化私論」では、日本文化の象徴とする「わび・さび」をぶったぎる。土俗にまみれた、生活のにおいのするものこそ「日本文化」。彼の主張は、「日本文化」を問うのと同時に「人間」そのものを問う。それでいて、おもしろい。一読です!
織田作之助 (ちくま日本文学 35)
織田作之助の文庫版短篇集で、現在廉価で購入できるのは、『夫婦善哉』(新潮文庫)、『ちくま日本文学35 織田作之助』(ちくま文庫)、『六白金星 可能性の文学 他十一篇』(岩波文庫)の三冊であろう。
新潮文庫収録の六篇は全て、ちくま文庫及び岩波文庫のいずれか(あるいは両方)と重複しているため、ちくま文庫及び岩波文庫を持っているなら新潮文庫は不要だ。
ちくま文庫と岩波文庫とでは、「可能性の文学」「アド・バルーン」「世相」「競馬」の四篇が重複する。
このちくま文庫には「馬地獄」「夫婦善哉」「勧善懲悪」「木の都」「蛍」「ニコ狆先生」「猿飛佐助」「アド・バルーン」「競馬」「世相」「可能性の文学」の全十一篇が収録されており、織田の代表作を綜覧するにはよい。
夫婦善哉 (新潮文庫)
夫婦善哉という小説は蝶子の物語である。蝶子のモデルは織田作之助の姉であるといわれている。
どうも映画の森繁久弥の柳吉が強烈な印象があるため夫婦善哉といえば柳吉と思うが、実に切なくけなげな蝶子こそがこの小説の主人公である。
放蕩の限りをつくして実家の小間物屋を勘当されて、挙句は家督を妹の婿養子に継がれていく柳吉を何とか支えて人並みにさせようとする蝶子。
人間の切ないまでに儚い希望を大阪の下町を舞台に描く。そして物語の端々に出てくる文楽、落語などのエッセンスと大阪の名物たち。「トラは死して皮を残す。直木は死して名を残し、オダサク死してカレーライスを残す」とはよく言ったもので、夫婦善哉にも出てくる、自由軒のカレーライスは今でも大阪名物として食べつづけられている。
わが町 [DVD]
待ってましたー!!待望の「わが町」DVD発売です。
とある映画館のサヨナラ上映で観て以来”ベンゲットのたーやん”が忘れられず
ビデオ化もされてないようだったので上映がある度に映画館へ出かけてました。
いわゆる川島雄三的な作品ではないですが…名作です!
ボロボロになりながらも車を引いて、娘を、孫を、男手ひとつで育てあげる
たーやんの生き様に凄まじいパワーを感じます。
またそれを温かく見守る長屋の人達、今は聞く事のない美しい大阪弁。
人は死ぬまで”一生懸命に生きなければいけない”と教えてくれる映画だと思います。
夫婦善哉 [DVD]
織田作之助の原作を読んで映画はないものかと探したらちゃんとありました。森重久弥って、屋根の上のバイオリン弾きのおじいちゃんのイメージしかないけど、昭和30年の撮影時は当たり前だけどこんなに若かったのねとびっくり。
蝶子を演じるのは淡島千景で、決して美人タイプではない庶民派で、柳吉に甘えながらもしっかり生きていく役が見事にはまっている。
夫婦の苦労話や洒落たやりとりはやっぱり原作の味わいにはかなわないけれど、こうして映画で見てみると、昭和7年の大阪の町の様子がわかって本当によかった。まず最初の船場のシーンでバーンと大阪城があってその下に船場っていう姿が美しい。そして糸はん、番頭のいる船場の商店。化粧品屋らしく乱入してきた柳吉が怒って店の者にスプレーをかけたりするけど、今の心斎橋のドラッグストアと比べるとたった80年でこんなにも変わってしまったのかと思う。
赤玉キャバレーが栄えた道頓堀、自由軒のカレーに曽根崎新地の料理屋。川沿いで二人で話すシーンは、蜆川だろうか。
蝶子の両親の貧しさも映画を見ればこそだ。店先でちょこちょこと天ぷらを揚げている父は娘がどんな目にあわされても「船場にはかなわんわ」。
そして関東炊き(おでん)屋を始めたのは飛田。飛田だけは今もあまり変わってなかったりして(笑)。